【あの頃イタリアで その18 し~んぱ~い無いさ~!by ライオンキング】

投稿者 :佐々木英理子 on

先日、田舎で暮らす母とLINE電話をしながら、なんて便利な世の中になったんだろうと、昭和人間的なことを思っていました。あの頃はこんな便利な物無かったよな~。あの頃あったらどんなことになっていたんだろ~?って。今日はちょっと脱線をして、母とのちょっと変わった国際電話のお話。

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今ではヨーロッパやアメリカ、ブラジルの果てまでも、LINESKYPEなどの無料通話アプリを使って好きな時に好きなだけ、しかも相手の顔を見ながら会話ができるが、1994年のミラノにはそんなものがあるはずも無く、遠く離れた日本の家族や友人とコミュニケーションを取る手段と言えば、手紙かFAX、国際電話が一般的であった。

良美さんと同居してからは彼女の仕事用のFAXを使わせてもらうことができたし、手紙の出し方も教えてもらえたが、ミラノにやって来たばかりの頃の私はそんなこともできず、やろうともせず、寂しくなると日本に住む母に電話ばかりしていた。電話のかけ方だけは地球の歩き方“で調べて知っていたが、お金が無いので使うのはもっぱらコレクトコールである。

謎のイスラエル人カップルとの同居問題に悩み、暗い日々を送っていたある日のこと。日本語で愚痴を溢す相手も無く、かと言ってイタリア語も話せない私は部屋に閉じこもり悶々と悩んだ挙句、どうしようもない孤独感に襲われた。そしてその日も母に話を聞いてもらおうと、小銭を握りしめて近所の公衆電話へ向かったのである。

イタリアに来てから何度目の国際電話だろうか・・・

「はい、KDDです。ご用件をお話しください。」とオペレーターの女性の声。その日本語にまず安堵する。

「あの~コレクトコールをお願いしま~す」

「はい、相手方の電話番号とお名前をお願いします。」

母の名前と番号を伝え、しばらくジッと繋がるのを待つ。

と、受話器の向こうから聞き慣れた、そして世界一心安らぐであろうはずの母の声が聞こえて来る・・・

「もしもし!えりこ?!」・・勢いよく電話口に出た母は凄い剣幕で一方的に話し続ける。

「ちょっと!もう コレステロール” するんじゃないよ!この間いくら請求が来たと思う?!8万円だよ!8万円!!」

「・・・・・。」

「聞いてんの?!もう “コレステロール” するなっつ~の!!」

「・・・・・わ、わ、分かった・・」

「じゃあね!切るよ!」ガチャン!文字通りガチャンと黒電話の受話器を下ろす音がする。

しばし唖然・・・。悲しいと言うか・・なんと言うか・・そんなことよりも“コレステロール”って言ってた?ハテナマークが脳内に渦巻く。そして何故か脳裏を横切るお腹が突き出たおじさんの映像・・・。

強烈なショックと疑念とが入交り、悩み事など吹っ飛んでしまった。これはある意味ショック療法か?

本人に意図があるとは思えないが、我が母は時折絶妙なタイミングで我が子を崖から突き落とす。このときもそうであった。コレステロール疑惑は兎も角、母が言っていることの意味は分かる。

アパートへ帰る道すがら、ボーっと考える。そして気付く。私は勝手にイタリアにやって来て勝手に寂しくなって、勝手にタダ電話を掛けて勝手に愚痴を溢すダメダメな子ライオンなのだな・・・と。

それから数時間後、崖から突き落とされて痛手は負ったものの、不思議と悲しくはない。むしろ何かが吹っ切れ、清々しくさえある。

そしてベッドの中で天井を見つめながら再び思った。絶対にコレステロールって言ったよね!

私が引っ越しを決意したのはその翌日のこと。このときやっと異国で暮らす心の準備が整ったとも言える。

 

つづく・・・

 ※この思い出話の舞台は1994年-1996年のイタリアです。スマホはおろか携帯電話やデジカメ、パソコンすら一般家庭に無い時代であり、主な通信手段は国際電話かFAXでした。

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