【あの頃イタリアで その20 マッジョーレ湖とイチジクと一つのエンディング】

投稿者 :佐々木英理子 on

毎日暑い日が続いていますが、この4連休はいかがお過ごしでしょうか?渋滞と人込みを避けてエアコンの効いた部屋で、ビール片手に静かにオリンピック見物するのも考えようによっては優雅ですよね?

さて、あの頃のイタリアは9月・・とうとう語学講座も終わりです。

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「イタリア語講座の最終テストに合格できなければデザインスクールへの入学を許可することはできません!」と、私を散々脅し続けて来たクルクル天然パーマのキアラであったが、9月も終わりに近づいた頃、その最終テストはあっけなく幕を閉じた。

テストの翌日、順番に名前を呼ばれてデスクの前に立った私の顔を、諦め顔で見上げながらキアラはこう言った。

「これからも毎日イタリア語の勉強を続けて行くという条件で、今回は止む無く合格とします。」

やった!心の中で小さくガッツポーズ。

脅してはいたものの、そもそも遥々日本からやって来てしまっている人間を、やっぱり入学させません!と母国に帰すわけには行かないのだ。そんなことに薄々勘付いていたダメな私はとうとう最後まで勉強に身が入らないまま語学講座を終えてしまった。

 ↑デジカメがなかったあの頃の写真は貴重です

 

その最終テストから遡ること3週間前、もう一人の語学教師アンナが所有するマッジョーレ湖の別荘にクラス全員で1泊旅行をすることになった。移動には4台の車が必要だったのでデザインスクールの脇毛美女ラウラや他の先生も運転手として駆り出された。

ミラノから車で約2時間のドライブ。ドアを開けて降り立った別荘の庭からは日差しを受けてキラキラ輝くマッジョーレ湖が一望でき、背面の山から別荘の庭まで続く緩い斜面には立派な実を付けたイチジクの木が涼しげに生い茂っている。

「こんな素敵なところに泊まれるの!?」一同大興奮。そしてベストポジションを確保するべく我先に荷物を抱えて別荘の中に飛び込む。

そんな中、私は一人イチジクの実に釘付けであった。何故って・・大好物だからである。しかももう何年も食べていない。肩に荷物を引っかけたまま所有者のアンナに確認してみる。

「ねえねえアンナ~これって、食べていいの?」目はイチジクにロックオン状態。

「どうぞ~いっぱい食べて~!」

「やった!!」スタートのピストルが鳴ったかの如く、荷物を地面に放り投げて大きな実をもぎ取り、両手で真ん中から割ってそのまま齧り付く。

「うま~~い!超うま~い!!」マッジョーレ湖の綺麗な水と肥沃な土と綺麗な空気に育てられたのだから美味しくない訳が無い。薄くなった皮を足元に捨ててまた次をもぎ取る。齧り付く。隣の木からももぎ取り齧り付く。これはもうイチジク天国だ~!別荘の中から「エリコ~!何やってんの~!早くおいでよ~!」とヒョンギョンの声がする。が、それどころではない。

イチジクの木の下に、クマのように仁王立ちして動かいない私の後ろ姿を窓から眺め、みんなはさぞかし不思議に思ったに違いない。むしろ怖い(笑)

少なくとも20個は食べただろうか。とうとうアンナが私を呼びに来た。

「とにかく先ず中に入って。イチジクはいっぱいあるから明日も食べればいいんだから、ね、ね!」

 

その夜は数人の料理好きが自ら晩ご飯作りを買って出て、テーブルいっぱいにジャーマンポテトやパスタなどの得意料理が並べられた。ご馳走なのだがイチジクを食べ過ぎてしまった私にはそれを詰め込む隙間が無い。そんな私の様子を隣の席から嬉しそうに眺めていたのはギリシャ人のお調子者ミハイルである。

「だよな!こんなのマズくて食えないよな!」とニヤニヤしながら小声で私に同意を求める。彼の母はアテネでギリシャ料理レストランを営んでいるので食に対するプライドが半端なく高い。その上他人をバカにする癖がある。今だからこうして話しかけて来るものの、クラスが始まったばかりの頃は英語が話せない人間には目もくれなかった。

前から思っていたけど、やっぱり感じ悪いやつ!

 

翌日は晴天の中、みんなで湖の畔を散歩し、ゴンドラで山の上にある絶景レストランへ。スイスの山並みと湖が一望できる紛れもない絶景である。 イタリアってなんていいところなんだろう!せっかく来たんだからもっといろんなところに行ってみたい!初めてそう感じた瞬間であった。

↑ 満を持して(?)27歳の筆者登場!若かった・・そして痩せていた(泣)

 

 この3週間後、全員無事に最終テストを終え、3カ月間の楽しかった語学講座は終了となった。10月から始まるデザインスクールでは12人のクラスメートそれぞれが目指す別々のコースへと進むことになる。ファッションデザイン、建築デザイン、インダストリアルデザインetc

私は不幸にも、おしゃべりでお調子者のミハイルと同じ建築デザインコースだ。よりによってあんなやつと一緒だ何て・・最悪だ。

この時はまさかこの男が、後の親友になるとは夢にも思っていない私なのであった。

 

つづく・・・・

※この思い出話の舞台は1994年-1996年のイタリアです。スマホはおろか携帯電話やデジカメ、パソコンすら一般家庭に無い時代であり、主な通信手段は国際電話かFAXでした。

 

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