【あの頃イタリアで その28 グランブルーな海にエンツォはいた!】

投稿者 :佐々木英理子 on

 またまた台風ですね。皆さんお住まいの地域はご無事でしょうか?ここ東京は思ったほど雨も強くなく、薄っすらと空が明るくなって来ました。明日は晴れ!ここ最近運動不足なので明日は少し長い距離をジョギングしようかな~と思っています。

さて、シチリア一人旅の続き。果たして無事にグランブルーな海に潜ることができるのでしょうか・・・

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ウスティカ島の町長が運転する車は私とヌッチョを乗せ、港からうねうねと続く道を教会がある島の中心地まで一気に上り切ると、そのまま町を通り過ぎ島の裏側へ下って行った。港がある表側と一変して裏側は一面に畑が広がっている。

島の裏側↓

畑の中の一車線の道をしばらく進むと、ある一軒家の前で車は止まった。車道からかなり離れているその家の広い庭先には何やら作業をしている男性らしき姿が見える。と、町長が運転席の窓からおもむろに身体を乗り出し叫んだ。

「おお~~い!エンツォ~!エンツォ~!」なぬなぬ?エンツォ?

と、その男性らしき人影がこちらに気付き、作業の手を止めるとこっちに向かって歩いて来た。

車までやって来たエンツォと呼ばれるその男性は、年齢は30代半ば位、ひょろりと背が高く、浅黒く日焼けした顔に目玉がやけに白く見える。この辺の人には珍しい、金髪に青い目は如何にも女性にモテそうだ。(私のタイプではないが・・笑)

エンツォは、助手席から運転席の窓まで身体を伸ばして現地語で捲し立てるヌッチョの話にしばし聞き入り「バ、ベーネ!(オッケー!)」と答えると後部座席の私に握手を求めて来た。え?!いきなり焦る!

「じゃあ、明日の午後3時に港で待っているからね!うちには電話は無いから、3時半まで待って来なかったら僕は帰るから。オッケー?」

「オ、オ、オッケー・・・」全く良く分からないが、とにかくオッケー。

と、エンツォはニコリと微笑み、くるりと引き返して行った。

エンツォの家に続く道↓

ど、ど、ど~言うことでしょ?という顔をしている私にヌッチョがイタリア共通語でゆっくり説明する。

「エンツォはプロのダイバーだ。夏の間は毎日ダイビングショップで働いているが、普段は畑仕事をしているんだよ。もしかしたら他の島に出稼ぎに行ってしまったかと思ったが会えて良かったよ。お前はラッキーだ!」

・・・え?てことは?さっきのはダイビングの約束??え~~?!明日ダイビングできるの~?!しかもエンツォって、グラン・ブルーに出て来る、主人公のライバルと同じ名前!これはもう運命に違いないのだ~!

「グラッツェ~!ヌッチョ!グラツェ~!町長!」 

 

果たして、第2のシチリアじいさんヌッチョはどうやら本当にいい人のようだ。

エンツォと別れた後、せっかくだからとそのまま町長の車で島の水族館に連れて行ってくれた。水族館と言っても物凄くこじんまりとした施設だが、シーズンオフで閉館しているにも関わらず町長自ら開けてくれた(ヌッチョに開けさせられた)のだからありがたい。

写真を撮れとしつこく言われ、しょうがなく撮った水槽の写真。何もいない(笑)↓

その夜、ヌッチョが自宅のテラスでパスタをご馳走してくれた。なんのパスタだったか良く覚えていないが、確かナスとベーコンのトマトソースだったと思う。もちろん白ワイン付き。とにかく感動的に美味しかった!この旅初の缶詰以外の食事である。

なんて居心地がいい島なんだろう!補習で台無しになってしまった8月のリベンジを果たす時が来た!(その15参照)やっと私のバカンス到来だ~!明日はいよいよ待望のグランブルーな海にダイビングだ!しかもエンツォと!興奮しすぎて鼻血が噴き出してもおかしくない状況にも関わらず、いつしか深い眠りに落ちた私であった。

つづく・・・

 

※この思い出話の舞台は1994年-1996年のイタリアです。スマホはおろか携帯電話やデジカメ、パソコンすら一般家庭に無い時代であり、主な通信手段は国際電話かFAXでした。

 

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