【あの頃イタリアで その35 過去を塗り潰して前進あるのみ?】

投稿者 :佐々木英理子 on

秋晴れが続いていますね~!関東では先週の週末辺りから野外イベントの情報がちらほらと。運動会、フリーマーケット、蚤の市・・相変わらずマスクは外せないけれど、何だか嬉しいですね!

 

さて、今回のあの頃は引っ越し作業の一部始終です・・・

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新居が決まってから引っ越しをするまでの2週間はとにかく忙しなかった。私と良美さんは空いている時間を見つけては、とにかくペンキを塗りまくった。

現在住んでいるアパートの大家さんと交渉し、何とか退去日を一週間延ばしてもらった私たちであったが、それでも準備時間が少ない。新居の広さは2DKだが、もちろんバスルームと廊下だってある。その全ての壁天井は一体何平方メートルあるのだろうか・・・。それをヘラでこそげ落とし、ペンキを塗り直さねばならないのだ。

2人一緒に時間を合わせて作業をする余裕などなかったので、各自それぞれ学校や仕事の合間を縫って地道に作業を進める2人だけの人海戦術。

午後からの授業の日は午前中の2時間、授業が終わってから日が暮れるまでの2時間、土日は丸一日・・と言った感じで、連日ひたすら無言で壁天井と向き合う日が約2週間続いた。

そんなある日の午後、疲れ切った私は授業中に居眠りをしていたらしい・・

「おい!おい!お~い!起きろよ!クックック!」誰かが笑いながら小声で囁く。

は!と目覚めると、お調子者ミハイルと箱入りマルコ(前回参照)が笑いながらこっちを覗き込んでいる。

「なあなあ!お前さ!髪の毛白いぞ!白髪頭で居眠りして、丸でお婆ちゃんみたいだな!クックック!」大笑いしている二人を仏頂面で睨み返す。きっとローラーで天井を塗装していた時に頭にペンキが落っこちたのだ。

「お前、毎日何やってるの?授業終わるとすぐ帰るしさ・・・うわ!マルコ、見ろよ!こいつ、手もペンキだらけだぞ!」

授業が終わってから、仕方なく興味津々の二人に事情を説明した。

「へー、それは大変だな!そりゃあ白くなるよな!まあがんばれよ!」

おいおい、手伝わんのかい!この二人に淡い期待を抱いた私がバカだった。

修繕作業もいよいよ大詰めとなった最後の週末、私と良美さんはキッチンと廊下の二手に分かれて作業をしていた。二人とも疲労困憊のため、いつも以上に無言で黙々と作業を進める。

その時である。

「あー!!ちょっとー!見て見て!」良美さんがキッチンから私を呼ぶ。

ペンキが滴るローラーをトレーに置き、ベタベタの手を両脇に下げたままキッチンを覗いて見ると・・

「あー!凄い!」なんと!キッチンの古い塗装の下からフレスコ画が出現したのだ!

それはジャック・スパロウ(byパイレーツオブカリビアン)が持っているような(?)アンティークなレリーフ調の模様で縁取られた世界地図!

「ねえねえ!これって凄いよね!ここ実は物凄い歴史のある建物だったりして!それとも、もしかしてこれ本物の宝の地図だったりして?!どうするどうする?!」大興奮する私を尻目に、良美さんはこう言ってのけた。

「ど~もしな~い。」・・・へ?

「こんなことイタリアでは良くあることよ!第一、役所に届けて万が一これが歴史的に重要なものだったら、私たち引っ越しできないじゃない!」・・・あ・・しかし・・・

「さあさあ作業続けよう!もうすぐ暗くなるよー!」そして彼女はあっという間に宝の地図を塗りつぶしてしまった

(この時代にスマホさえあったら・・と悔やまれてならない事件の一つである)

11月も終わりに近づいたある日、私たちはボロ雑巾のようになりながら、新居に引っ越しを果たした。一体何リットルのペンキを使い切ったのだろうか?それにしてもよく腱鞘炎にならなかったものだと不思議に思う。

もうすぐ12月、ミラノでの初めてクリスマスは真っ白な新居で過ごすことができそうだ。

こうして私は、ミラノでの三回目にして最後の、そして最も大変な引っ越しをしたのでした。

 

つづく・・・

※この思い出話の舞台は1994年-1996年のイタリアです。スマホはおろか携帯電話やデジカメ、パソコンすら一般家庭に無い時代であり、主な通信手段は国際電話かFAXでした。

 

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