【あの頃イタリアで その51 シチリア海底にキツネ目の女現る】

投稿者 :佐々木英理子 on

こんにちは。「今日はお天気もいいし!」と、はりきってランニングに出掛けたのですが・・小さな段差でコケてしまい、右足を激しく捻挫してしまいました(泣)床に足を置くだけで痛いので、右足を浮かしたままブログを書いております。意外と器用な私(笑)

さて、今回はウスティカ島でのダイビングの最中に起きた悲劇です・・・

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9月初旬のウスティカ島はその日も朝から快晴。絶好のスキューバダイビング日和であった。

島の高台にある宿で軽い昼食を済ませ、私は妹と弟と別れた。今日の午後はフリータイムである。妹弟は海水浴へ、私はスキューバダイビングをするべく迎えに来てくれたヌッチョと島で知り合ったドイツ人夫婦と共に、エンツォ(その28参照)の船が停泊している港に向かった。一年前と変わらず、自家製エスプレッソ入の水筒をぶら下げてズンズン先を行くヌッチョの後ろ姿が微笑ましい。(その30参照)

私たちのためにヌッチョが予約しておいてくれた宿は、13世紀から14世紀頃に建てられた住居遺跡を改装して作られたもので、朽ちかけた石積みの外壁が長い歴史を感じさせる風情豊かな建築物だ。古い石畳の路地に面して2階建ての細長い建物が何棟も連なっており、それぞれ2Fには寝室、1Fにはバスルームとキッチンがあったので、宿というよりも長期滞在用のコンドミニアムといった方が近い。

そこから徒歩で3分程坂道を下ると、小さな島の小さな中心地、教会がある広場に出る。そこから更に5分ほど坂道を下って行くと目指す港が見えてきた。

「うわ!なに?このデカい船!」

私の目の前に現れたのは想像以上に立派なエンツォの船。それはダイビング用の小舟というよりも小型の旅客船である。

陸と船を繋ぐハシゴを渡って船に乗り込むと、客室の周りを360度ぐるりと囲む甲板に降りる。私たちを含め乗船客は約20人、それにインストラクターらしき人たちが数人、それぞれがダイビングスポットに到着するまでの30分間を甲板で日光浴をしながら楽しんだ。

目的地に着くとダイバーたちは23人のグループに分かれ、酸素ボンベの準備を始めた。何の打ち合わせもしていなかった私はどうしていいのか分からない。戸惑いながらエンツォの姿を探していたとき、目の前に小柄な男性がやって来た。

「こんにちは!今日、あなたのインストラクターを務めるマッシモです!よろしく!どこか潜ってみたいポイントはある?」・・あれ?今回はエンツォじゃないのね・・・。

一年前のエンツォとのダイビング(その28参照)は、小舟で行ける近場の浅いところだったし、イタリアに来る直前まで日本でダイビングをしていたので特段不安が無かったが、それから一年経ち、酸素ボンベのセッティングの仕方もたどたどしくなってしまった今、いきなり大きな船で沖までやって来て、初対面の人に命を預けることに私はなかなかのプレッシャーを感じていた。

しかも、エラそうなことを言うくせに、私のダイビング歴は浅い。ブログの初期の頃(その2参照)を読んでくださった方はご存じの通り、なんでも衝動的に突き進んでしまう癖のある私は、日本でダイビングライセンス取得後、35万円の機材を一括購入し(時はバブルであった)それを使いこなす間もないままイタリアに留学してしまったのである。

少しの不安を覚えながらも、“せっかくシチリアに来たんだから!” と自分を励まし、緊張する手でなんとか装備を整え、マッシモのお薦めポイントに潜ることにした。

そしていよいよ潜行開始。船から海底に下したロープを伝ってゆっくりゆっくり沈んで行く。一年前までは平気だったのに、久しぶりのせいか心臓がドキドキして呼吸が苦しい。時間をかけてなんとか水深10メートル付近の海底に辿り着く。そこからはマッシモに手招きされるまま、二人だけで更に深い地点を目指して潜っていく。

“え?まだ行くの?そんなに行くの?“と思っても海底では意思の伝えようがない。マッシモは後ろを振り返りつつも、どんどんどんどん暗い海底へ落ちて行く。

・・・と、私は突如自分の異変に気付いた。目と鼻を覆っているゴーグルがタコの吸盤のように顔に貼り付いているのだ!見えないまでも自分の目が物凄いキツネ目になっているのが分かる。ゴーグルに引っ張られているのだ!

“どうなっちゃったの?!どうすればいい?どうしよう!“  キツネ目のまま焦るも、このまま海面に急浮上してしまったら肺が破裂して死んでしまうかもしれない!

 

つづく・・・

※このお話はノンフィクションですが、登場人物の名前は仮名です。(たま~に本名あり)
※この思い出話の舞台は1994年-1996年のイタリアです。スマホはおろか携帯電話やデジカメ、パソコンすら一般家庭に無い時代であり、主な通信手段は国際電話かFAXでした。
 

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