【あの頃イタリアで その15 マッジョーレ湖畔のキリギリス】

【あの頃イタリアで その15 マッジョーレ湖畔のキリギリス】

クラス全員が地獄の30分間イタリアントークを終えた8月上旬、3カ月間の語学講座も中盤に差し掛かった頃、私たちには約2週間の短いバカンス(イタリアにしては)が与えられることになっていた。一般的なイタリア人は既に一ヵ月間のバカンスに突入しているため、ミラノ市内ではシャッターが下りているお店が目立つ。それに遅れること約1週間、あと3日頑張れは私たちにも待望のバカンスが訪れるのだ。ようやくミラノでの生活にも慣れ、仲の良い友達もできた。そこに訪れる初めてのバカンス、これはもう遊ぶしかない!

「どうするどうする?マッジョーレ湖に泳ぎに行く?それともコモ湖?」

「ベネチアにも行ってみた~い!」

休み時間になるとその頃仲良くしていたトルコ人のセバと韓国人のスージョンとでひとしきり盛り上がった。その日の授業が終わり、ワクワクした気分のまま教科書をカバンに仕舞い込んでいるとき、クルクル天然パーマのキアラが前方の教壇から私を呼ぶ。

「エリコ~ちょと来て。」私を呼ぶときの彼女はいつも笑顔ではない。そして劣等生の私は嫌な予感しかしない。そこにもう一人、小柄なキャピキャピ系アメリカ人女子、二十歳のシャロンが呼ばれた。二人の顔を交互に見つめると、キアラは深刻な面持ちでこう宣告した。

「あなたたちはイタリア語が上手じゃないのでこのままだと最終日のテストに合格するのは無理です。テストに合格しないとデザイン学校への入学を許すことはできません。つまり、あなたたちはバカンスの間も遊ばずに勉強をしなければなりません。」そしてあっけにとられる私とシャロンにリアクションをする間も与えずこう続けた。

「方法は二つあります。一つは、バカンス期間中に一週間の特別授業に参加する。もう一つは学校が指定する家庭教師を付ける。このどちらかを選んでもらいます。」

う、う、うそでしょ~!家庭教師を付ける金銭的余裕など無いのだからもはや選択の余地は無い・・・もう一週間、しかも二人っきりで補習するの~?!と脳内絶叫する私の傍らで、キャピキャピ女子のシャロンがあっけらかんとこう答えた。

「私、学校に来るの嫌だから家庭教師付けま~す!」

あ・・・忘れていた。彼女の親は大企業の社長なのであった。え?待って待って、となると私一人で補習を受けるの?!必死に助けを求めたがゆえ、かなり引き攣っていたであろう私の顔を見つめたまま、キアラは優しくも悲しげにモナ・リザの如く微笑む・・・あ~~終わった・・・。

 こうして私は真夏の太陽が燦燦と降り注ぐ中、静まり返った日の当たらない教室に一人通い続けた。朝、アパートメントを出るときに良美さんは言う。

「世間はバカンスだというのに、あなたは偉いね~!真面目だね~!」

・・・一人で補修授業を受けているなんて、口が裂けても言えないのである。

そして一週間後、精神的に疲れ果てた私に残されたバカンスは一週間しかない。なんとも言えない脱力感の中、今か今かと待ちかまえていたセバとスージョンにミラノの北西に位置するマッジョーレ湖(当時、若者に人気のリゾート地であった)に連れ出されたが、この一週間の差は大きい。毎日のようにプールや湖に出掛けていた彼女たちの肌は綺麗にこんがり焼けたクロワッサンのよう。私はと言えば半袖Tシャツの跡こそ薄っすら付いてはいたものの、なんだか生焼けの食パンみたいなのだ。中途半端に焼けた腕はまるでパンの耳だ。 

ひとしきり湖水浴を楽しんだ後、湖の畔に腹ばいに寝そべった。ビール片手にきらきら輝く水面を眺めていたとき、私はずっと疑問に思っていたことをスージョンに問いかけてみることにした。

「ねえねえ、ヒョンギョンは最近どうしてる?遊びにも誘ってくれないし、学校が終わってもすぐに帰っちゃうしさ~」そしてその返事に絶句することになる。

「うんうん、ヒョンギョンは毎日寝る間も惜しんでイタリア語の勉強してるよ!だから私たちと遊ぶ暇なんてないのよ。すごいよね~!」

この時ほど自分がダメ人間に思えたことはない。スタートは同じであったはず。二人ともイタリア語も英語も話せない共通のコンプレックスから仲良くなった。「なんとかなるさ~」と遊び惚けている私をよそに、彼女はその悔しさをバネにして着々と勉強し続け、キアラの劣等生リストから見事に消え去ったのだ!・・・なのに私は・・・完全なるキリギリス・・・。

マッジョーレ湖からミラノまで2時間半の電車の中、二人のおしゃべりはどこか遠くに聞こえた。そして仲良しだったヒョンギョンもどこか遠くへ行ってしまったような気がした。

寂しいような悲しいような、かと言って悔しい訳でも無く、増してや心を入れ替えて勉強に励むわけでもなく、何とも言えない切ない気持ちを抱えたまま初めてのバカンスはあっという間に終わりを告げたのである。

 

つづく・・・

※この思い出話の舞台は1994年-1996年のイタリアです。スマホはおろか携帯電話やデジカメ、パソコンすら一般家庭に無い時代であり、主な通信手段は国際電話かFAXでした。

 

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