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【あの頃イタリアで その12 深夜の怪しい酔っ払い二人組】

投稿者 :佐々木英理子 on

こんにちは。早いものでまた1週間経ちましたね。もはやマンネリ化した自粛生活では目新し刺激が少ないせいか、油断しているとあっという間に時が過ぎてしまいます。いかんいかん時は金なり!と思ってはみるもののなすすべもなく・・この生活パターンはもうしばらく続きそうです。この週末は荒れた本棚でも片付けてみようかな~。

 さてさてそんな現実から逃避すべく、1994年のミラノ、ヒョンギョン宅の宴へ・・・

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「初めまして、サトルと言います。よろしく~」なんと、唐揚げを揚げまくっていた彼女は男性であった。ほっそりと長身で面長、東洋的な顔立ち、腰まで伸びた長髪をおしゃれなヘアバンドでまとめたその風貌は中国の山奥に暮らす“仙人“を彷彿させる。

田崎悟くん(仮名)、28歳。私の一つ上だ。小さい頃からの洋服好きが高じて、夢見ていたファッションの街、ミラノにやって来た。今はタダ働き同然で有名イタリア人スタイリストの下で修業を積んでいるらしい。

そんなことより何より、彼が作った唐揚げは絶品であった!久しぶりの日本の味が嬉しくて白ワインと一緒にジャンジャン胃袋に流し込んだ。お酒が入ると滑らかになるイタリア語で大いに会話が盛り上がり、あっという間に終電の時間が近付く。すっかりいい気分になった私は、後ろ髪を引かれつつヒョンギョン宅に別れを告げ、たまたま帰る方向が一緒であった悟くんとミラノ中央駅行のトラムに乗り込んだ。トラムの中でも酔っ払い同士の会話は止まらない。イタリアに来てからの苦労、これからの夢、日本に帰ってからのこと。時刻は夜中の12時を過ぎていたが、こうなったら誰も止められない。「よし!もう一軒行こう!」「よ~し!とことん行っちゃお~!」私たちは終点のミラノ中央駅でトラムを降り、目の前のタクシー乗り場の脇にある古びた小さなバール(カフェ&バー的なお店)に入った。

「二次会にカンパーイ!」カウンターのスツールに並んで腰かけ、ダブルのスコッチウィスキーに口を付けてから間もなくのことである。私が悟くんの異変に気付いたのは。

ついさっきまでは「僕は世界に認められるスタイリストになりたいんだ!絶対なってやる!」と拳を掲げていた日本男児が、どこでどうスイッチが入ったのか「あのね~あたしはね~世界に認められるようなかっこいいスタイリストになりたいわけなのよ~ん💛それまでは日本に帰れるわけないじゃな~い💛」・・なんてことを言っているではないか!・・・しばし頭真っ白。そしてアルコール漬けの脳みそながらも、もろもろを理解する。・・・そうだったのね。その時の私は一体どんな表情をしていたのだろうか?きっとあんぐりと口を開けていたに違いない。

「やっだ~!えりちゃんたら人の話聞いてるの~!」と悟くん改め、悟さんがいきなり平手で私の左肩を思い切りはたいた。肩が外れるかと思った。そこでようやく開いた口を閉じたであろう私は酔いに任せて恐る恐る聞いてみた。

「あ、あ、あの~・・・悟くん、悟くんてさ、もしかしてさ、え~と、どっちかっていうと、あの~・・女の子より男の子の方が好きなタイプ?・・・なの?・・・かな?」

「うんうん!そうなのよ~ん💛あらやだ、なんでバレちゃったのかしら?」上目遣いの甘えた顔でこっちを見る。

「だ、だ、だって悟くん、ほら、さっきから女言葉になってるし・・」

「え?あら!やだ~!ホントだあ~!!」

彼または彼女はまたしても渾身の平手で私の左肩をはたいた。それは紛れもなく成人男性の力である。

それから一体どんな会話をしたのか覚えていない。それでも私たちは2時間ほどそのバールで盛り上がった後、ヨレヨレになりながらタクシーを拾ってようやくそれぞれの家路に着いた。

その後何度か「ちょっと~生きてるの~?」と安否確認の電話をもらったが、それぞれ仕事と学校のことで精いっぱいでなかなか再会が叶わず、結局悟くんと会ったのはあの日が最初で最後になった。

あれから彼が世界に認められるスタイリストになったと言う話は聞こえてこないし新聞やテレビでも見かけたことはない。今頃何してるのかな~と思い出すこともあるのだが、今となっては知るすべもないのである。

 

次回、「その怒り、エトナ山の如し」につづく・・・

 

※この思い出話の舞台は1994年-1996年のイタリアです。スマホはおろか携帯電話やデジカメ、パソコンすら一般家庭に無い時代であり、主な通信手段は国際電話かFAXでした。

 

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