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【あの頃イタリアで その2 何はともあれ旅立つ】

投稿者 :佐々木英理子 on

今日はこんなに穏やかなお天気なのに、明日は大荒れになるらしいですね。いっそのことしっかりと引きこもろうと決意し、スーパーで食料を買い込んできました。え?大袈裟❓ どうも昔から台風が来るとか大荒れになるとか言われると、ちょっとだけワクワクしてしまう性分でして・・

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さて前回の続き・・27年前の私は一体何をしていたかといいますと・・まだまだ夢見る20代でありまして、インテリアデザイナーを目指して内装設計施工会社に勤務をしておりました。希望に燃えて入社したものの、若い頃って飽きっぽいですよね。入社3年後、マンネリ化した日々の中で思いついたのが「そうだ、京都へ行こう」ならぬ、「そうだ、海外へ留学しよう」だったのです。

ほんとに突発的に思いついたので行き先は決まっておりません。「せっかくだからインテリアデザインを学べる学校がいいな~」と漠然と探して辿り着いたデザインスクールがたまたまイタリアのミラノにあったのです。そうと決めたらもう止まらない諸突猛進的性格は今も変わっておりません。思い立ったら吉日、ミラノが地球儀のどこにあるのかも分からないまま会社を辞め、派遣の仕事をしながらイタリア語学校に通い、着々と留学の手続きを始めたのでした。

そして半年後、さぞかしイタリア語も上達したと思いきや、仕事の傍ら1週間に1回語学学校に通っただけで話せるようになるわけもなく、1(ウノ)から10(ディエチ)まで数えるのもかなり怪しいまま。周囲からは「あんた英語もイタリア語も話せないし、知り合いもいないのにホントに行っちゃうわけ❓」と心配されましたが、猛進状態の私の耳に届く訳も無く・・あれよあれよという間に迎えた出発当日、当時付き合っていた彼(現夫)と弟と共に成田空港で別れの盃を交わし(交わし過ぎてその後飛行機の中で二日酔い状態になる)足元がおぼつか無いまま成田を飛び立ったのでした。

 

つづく・・

※この思い出話の舞台は1994年-1996年のイタリアです。スマホはおろか携帯電話やデジカメ、パソコンすら一般家庭に無い時代であり、主な通信手段は国際電話かFAXでした。

 

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