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【あの頃イタリアで その3 記念すべきイタリア初上陸】

投稿者 :佐々木英理子 on

さて、早速ですが前回からのつづき・・

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飛行機の座席に落ち着き、シートベルトを締めてからの記憶は乗換地の香港に到着するまでありません・・。座ったとたん爆睡していたようです。飛行機代を極力抑えるため、キャセイパシフィック航空の香港乗継ローマ着でまたまた乗り継いでミラノ入りというルートを選択したのは良いのですが、一人で海外便を乗り継いだことが無い私は全く勝手が分かりせん。香港での約2時間の待ち時間は買い物をしてはいけないのだと思い込んでいたため、二日酔いの激しい脱水症状にあったにも関わらず水すら飲むことができず、のどの渇きにもがき苦しみながらローマ行きの飛行機に乗り込んだのでした。座席に着く前にバックヤードに駆け込み、水をコップ2杯がぶ飲みした私にキャビンアテンダントの方は唖然としておりました(笑)

そして大空飛ぶこと10数時間。眼下に広がる初めての地、ローマ!・・の感動的描写を入れるべきなのでしょうが、とにかく初日の目的地、ミラノのホテルに無事到着することに必死だった私には旅を楽しむ余裕すら無く、もったいないことにイタリア着陸に感動した記憶がございません。

ローマからミラノまでのアリタリア航空で隣に座った女性に、「ミラノのタクシーにぼったくられるな」と再三脅された(?)ため、ミラノに着陸してからもまだまだ感動できず、やっと我に返ったのはタクシーがミラノ市街に入ってからのことでした。

次々と車窓に現れる初めて見るヨーロッパ、イタリア、ミラノの圧倒的異国の景色と歴史的建築物の大迫力! タクシーの運転手さんに「ナニコレ?!ナニコレー?!!ナニナニコレコレー??!!」と聞きまくり、かと言って親切に説明してくれる運転手さんが何を言っているのかなんて週一語学学校出の私に聞き取れるはずもなく・・ひたすら「ナニコレ?!」を連発する日本人に彼はさぞかしうんざりしたことでしょう。

本当にもったいない話なのですが、希望するデザイン学校がたまたまミラノにあったので、たまたまイタリアに来ることになった私は、学校にこそ興味はあれどそれがどんな国のどんな街にあるといった下調べをしないままに、この物凄いところに到着してしまったのでした。ミラノのドウオモ(大聖堂)の前に到着したときの私の感嘆の叫びを聞かせてあげたいくらいです。信じてもらえないかもしれませんが、この世に、そしてミラノに、そんなものがあるなんてこと、これぽっちも知らなかったんですから(笑)

 

つづく・・・

※この思い出話の舞台は1994年-1996年のイタリアです。スマホはおろか携帯電話やデジカメ、パソコンすら一般家庭に無い時代であり、主な通信手段は国際電話かFAXでした。

 

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