【あの頃イタリアで その48 遊びだって全力なのだ!】

投稿者 :佐々木英理子 on

こんにちは。2週間ぶりのブログ更新です。そうこうしているうちに東京は桜が開花しましたね!来週はいよいよお花見ですね~。まだまだ堂々と青空の下で宴会できないのは寂しくもありますが、きっとそれぞれの楽しみ方があるはず。短い春を楽しみましょうね!

さて、あの頃の私は勉強以外は仕事も遊びも全力投球(←死語?)しておりました・・・

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1995年の夏は、謎のアルバイトで始まってアルバイトで終わったが(その45参照)、そんな日々の中にも休日はある。平日は授業とアルバイト漬けだったので、休日になるとその分を挽回するべくとにかく全力で遊んだ。

あの頃の手帳を見ると、クラスメート4、5人でミラノの西側、ベローナの近くにある遊園地 “Gardaland(ガルダランド)” へ遊びに行ったとか、カヌーで激流下りをしたとか、クラスメートのミレーナとマルコと三人でベネツィア観光へ行ったなどと書いてある。

笑ってしまうのは、私は日本からの友人や家族を連れて既に何度もベネツィアを訪れたことがあったのだが、ミレーナは幼い頃に家族に連れられて行ったきり、今回で2回目。マルコに至っては生まれて初めてのベネツィアだと言う。見るもの全てに感動しまくる生粋のミラノ人2人を連れてベネツィアを案内する日本人。実に妙な構図であった。

そんな頃、ひそかに(?)訪れたサイクリングブーム。ブームと言っても私と箱入りマルコ、お調子者ミハイル、色白チャリンコ少年オスカルの4人の中での話である。もちろん女子は私一人。ミラネーゼは炎天下で汗だくになって自転車なんて漕がない。

きっかけはやはり企画番長のマルコである。

「なあなあ、今度みんなで自転車に乗って遠出しようぜ!格安で自転車が買えるショッピングセンターがあるから、まずはそこで自転車を買おう!」

私とミハイルは半強制的に、当時の日本円で約1万円の自転車を購入。それからというもの、イベントがない週末はほぼ自転車に乗っていた。近所はもちろん、ミラノの北東にあるF1で有名な町Monza(モンツァ)やミラノから南へ30㎞行ったところにある美しい古都Pavia(パヴィア)にまで足を延ばした。

中世の街並みがそのまま残り、時が止まってしまったかのように美しいPaviaの町の中を自転車で疾走するのは実に爽快だ。(石畳のおかげで激しくお尻が痛くなることを除けば)町の中を横切るティチーノ川に架かる優雅な橋の風景は、フィレンツェにも似ている。

市街地を一周した後に、甘いものに目が無いマルコ(だからニキビが絶えないのだ)お薦めのスイーツ屋さんに入った。マルコにオーダーを任せてしばし待っていると、厨房の方から真っ白い巨大なものをトレーに載せてウェイターがやって来た。近くで見ると、なんとそれは生クリームてんこ盛りの上にイチゴを散りばめた巨大なケーキ!結婚式でしか見た事の無いビッグサイズである。

満面の笑みを浮かべたマルコは慣れているようで、ウェイターの説明を待たずに指示を出す。

「え~とね、この辺でカットしてください。」

ウェイターは言われた通りにケーキ入刀。綺麗な正方形にカットして適当にイチゴを配置し、マルコのお皿に載せる。例えが悪いが、その量は優に丼一杯分はある。食べ放題なら食わなきゃ損と他の三人もマルコと同じサイズに切り分けてもらう。

※イメージ↓ 写真上くらいが一人前

こんな大きなケーキを一人で食べるのは生まれて初めてだ!

目の前に置かれたその量に圧倒されていると、今度はグラスとワインボトルを持ったウェイターがやって来た。

“え?ケーキにワイン!!”これもまた初めての体験。

並々とグラスに注がれたのはマスカットで作られた “モスカート・ダスティ “という美発砲の甘口ワイン。恐る恐る飲んでみるとこれが生クリームによく合う!

甘いものに更に甘いものを合わせるという悪魔的なマリアージュに一瞬ひるんだが、30㎞近く自転車を漕いで来たご褒美だ!

マルコ以外の3人はかなり苦戦しつつも、休憩しながらなんとか丼一杯を完食。アルコール分5%のワインのおかげでほろ酔い状態の満腹である。

”なんて幸せなのだ!これはきっと、怪しい土産物屋で頑張り続ける私への神様からのご褒美なのかも知れない!”・・・と幸福に浸っていたのも束の間、マルコが悪魔のようにこう告げる。

「さー!暗くなる前にミラノに帰ろうか!」

帰りの30㎞は部活動の如くひたすら無言で自転車を漕いだ。絶対みんな思っていたに違いない“あんなに食べるんじゃなかった!”って・・・マルコ以外はね(笑)

 

つづく・・・

 

※このお話はノンフィクションですが、登場人物の名前は仮名です。(たま~に本名あり)
※この思い出話の舞台は1994年-1996年のイタリアです。スマホはおろか携帯電話やデジカメ、パソコンすら一般家庭に無い時代であり、主な通信手段は国際電話かFAXでした。
 

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