脇毛美人ラウラとの面談の翌日、彼女に渡されたメモを頼りに学生向けのシェアアパートを紹介してくれるというおじさんの元を訪れた。ホテルの滞在予約は7日間、8日目には外国人生徒が参加必須となっている本コース開講前の語学講座が始まるため、とにかくこの間に住処を見つけて引っ越しを済まさなければならない。
ドアを開けてくれたおじさんの名前はルカ。とても感じの良い初老の男性で、会うなり何やら陽気に捲し立てたが当然の如くワタシイタリアゴワッカリマセン。そしてイタリア人は静かになる。いつもの流れである。これから2年間住むことになるであろう大切なアパートを果たしてたった1日2日で決められるものだろうか?しかしなんと、そんな不安とは裏腹に私はルカに連れて行かれた1軒目のアパートを即決してしまうのである。
感じの良い外国人に出会うと、会話の面倒臭さが相まって概ね相手の言いなりになってしまう私の悪癖。「オーケーオーケー!」と、ニコニコ笑っているのがその当時の私には最も楽な方法であった。だって・・「ノー!」と発した瞬間にその理由を相手に説明しなければならないのだから。はい、私は“ノーと言えない日本人“なのであります。
イタリアのアパートの種類は大きく分けて“ブオート”と呼ばれる家具も備品も何も付属していない一般の日本形式のものと、“アレッダメント”と呼ばれるベッドからフライパン、フォークの果てまで揃ったタイプのものがあるが、そこは完全なるアレッダメントタイプであった。まさに私のようにスーツケース一つしか持たない者には打ってつけなのだ。学校まではトラムで30分ほどかかるミラノ郊外ではあるが、それ以外は広くて綺麗で申し分無い。
こうして私は1994年の7月11日、スーツケース一つで、イタリア上陸後初めての引っ越しをした。
片付けもそこそこに、私はその日の午後に到着する同居人、スイス人の女の子のことで頭の中が一杯である。「ハイジみたいな女の子だったらいいな~」「やっぱりチーズと白パン好きなのかな~」浅はかな妄想は止まらない。そしてお昼を回った頃、そんな私の前に現れたのは!・・どう見てもハイジでは無いのである。ルカが連れて来たのは彫の深い顔立ちのなんとも無表情な男女二人。ルカが相変わらず陽気な笑顔で「予定が変わってこの二人が一緒に住むよ!よろしくね!」的なこと言っている。どう見てもスイス人ではないどころか、どこからどう見たって仲良しカップルなのである。「え~!カップルと3人で住めって言うの~!絶対嫌だ~!私のハイジを連れて来て~!!ハイジ~!!」と頭の中で絶叫するも、そんな思いとは裏腹に、私は何も言えず何故かヘラヘラ笑っているだけなのである。残念過ぎる(泣)
そしてイスラエル人カップルとの奇妙な3人暮らしが始まった。その後、苦悩の挙句わずか1週間で2回目の引っ越しをすることになるとは・・このときの私は知る由も無いのである。
つづく・・
※この思い出話の舞台は1994年-1996年のイタリアです。スマホはおろか携帯電話やデジカメ、パソコンすら一般家庭に無い時代であり、主な通信手段は国際電話かFAXでした。