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【あの頃イタリアで その8 2度目の引っ越しまたは脱出】

投稿者 :佐々木英理子 on

今日は2021年ゴールデンウィーク初日。朝から初夏のような汗ばむほどの陽気ですが、どこにも行くな!どこからも来るな!って・・息が詰まってしまいそうです。私は運動不足解消のため、近所をぐるぐると散策し回る怪しい人になっておりますが、皆さんはどんな風にストレスを発散しているのでしょうか?

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さて、洗濯機事件の翌日。シェアアパートの中は人間が3人住んでいるとは思えないほど静まり返っておりました。当初の予定ではハイジとチーズフォンデュを食べながらはしゃいでいたはず(??という方は~その6~をご覧ください)のキッチンも人気が無く片付いたまま。イスラエル人カップルの食事事情は知ったことではないが、当の私はと言えばドラム式洗濯機のトラウマからガスコンロやオーブンレンジにトライする気にもなれず、情けないことにただひたすら空腹を満たすため、近所の小さなスーパーから買って来た食パンらしきパン(日本の食パンから水分60%マイナスした感じ)をモソモソと齧っていたのである。そしてその夜、静まり返った部屋で残りのパンをつまみながら静かに弱々しく決意した。「こんなの違う、もう嫌だ、引っ越そー・・」切換えは早い方である。そしてそれと同時に、私は一人の日本人女性の顔を思い浮かべていた。

日本を出発する直前のこと、イタリアに全く知り合いがいない私を心配した友人のそのまた友人のまたまた友人が1枚の紙切れをくれた。「本当に困ったときはここに連絡してね!」・・と。(なんて優しい!)その時は「ま、念のため財布にでも入れとこうかな」と思っていたそのメモのお陰で、無事にイタリア生活を過ごすことができたと言っても過言ではない。

井川玲子さん(仮名)当時50代、大手家具メーカーのミラノ支店代表を務める傍らイラストレーターもこなすミラノ在住歴20年の大ベテランである。彼女への初めてのSOSはミラノに到着してすぐのこと。日本からの送金が銀行口座に入っていなかったのである。手持ちの現金は既に底を尽きかけている。一大事ながら窓口で説明するすべもない私は悩んだ挙句に、面識が無いどころか一体どんな人かも分からないまま、メモにある井川玲子さんに助けを求めた。どこの馬の骨とも分からない私からの突然の電話にも関わらず、なんとその30分後、彼女は私が涙目で立ち尽くす銀行にスーパーマンもしくはキカイダーゼロワン(古!)の如く駆け付け、手続きの何もかもを完了してくれたのである。そして今度は住居問題。果たしてこの短期間で見ず知らずの方の親切心に2度も甘えて良いのだろうか・・と思ったのも一瞬、いやいや一回会ったんだから知り合いなのだ!と方向転換。人間切羽詰まると図々しくなるものである。日が沈む前に小銭を握りしめ近所の公衆電話へ走った。

「あんたさ~そんなとこさっさと引っ越しなさいよ~!家賃もたっかいしさ~!紹介してあげるよ~」・・・鶴の一声とは正にこのことか!

こうして私は引っ越しからちょうど1週間後の日曜の朝、2度目の引っ越しをすることになった。荷物をまとめて部屋から出し、勇気を出してカップルの部屋のドアに向かって「アリベデルチ(さよなら)」と声を掛けてみた。シーン・・。廊下を通って玄関のドアノブに手を掛けたとき、奥からのそのそとパンツ一丁のイスラエル人男子がやって来て、頭を掻き掻き「じゃあ学校で会おう」と言った。もう一度さよならを言ってドアを閉めたときのあの解放感は忘れない。

 今度の同居人は玲子さんが紹介してくれたミラノ在住歴10年の日本人女性である。何がどう転んでも言葉さえ通じれば何とかなるのだ!私は心の中でツーステップを踏みながら新居行きのトラムに乗り込んだのであった。 

 

つづく・・。

※この思い出話の舞台は1994年-1996年のイタリアです。スマホはおろか携帯電話やデジカメ、パソコンすら一般家庭に無い時代であり、主な通信手段は国際電話かFAXでした。

 

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