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【あの頃イタリアで その4 まだ学校は始まらない】

投稿者 :佐々木英理子 on

皆さま今年のお花見は楽しめましたか?敷物広げて座り込んじゃいけないとか、場所によってはアルコール類禁止とか様々な制限がありましたが、何があってもやはり私たちは桜に魅了されるのですね。一目その満開の姿を目に焼き付けようと出かけた方も多いはずです。

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さて、日本の桜もとうに見頃を終え、夏の香り漂う27年前の73日、私のイタリア生活がスタートしました。無事に日本から予約をしていたミラノ市内のホテルに到着した私はさぞかし観光を楽しんでいると思いきや・・またしても喉の渇きに苦しんでおりました。

水くらいその辺で買えるでしょ?とお思いでしょうが、言葉に自信の無い私はまずこう思ったのです。「そうだ!自動販売機で水を買おう!」と・・。ご存じの方が多いと思いますが、ヨーロッパの街中に日本同様所かまわず自動販売機が置いてある訳もなく、そんなことすら知らなかった私は、到着後数時間、喉の渇きに喘ぎつつゾンビのごとく市内を歩き回り、ようやく「え?この国に自動販売機は無いの?・・ね」と気付くのでした。そして数日後には「この国では人と会話せずに買い物をすることができないの?・・ね」と気付くに至るのです。

学校が紹介してくれたアパートに引っ越すまでの7日間、地球の歩き方を片手に市内を歩き回り、疲れてはホテルに戻りロビーでビールを飲むという技を習得しました。外のバール(日本でいうカフェ的なところ)に行く勇気が無く、おまけにビールと水の価格がほぼ同じという状況下で「飲まなきゃ損!」とばかりにロビーでビールばかり飲んでいたため、ウェイターのお兄さんに「アンタビールノミスギ。カラダニワルイヨ!」的なことを言われてしまいました(笑)

そんな私がどうやってご飯を食べていたかと言えば、7月のミラノは暑過ぎて食欲が湧かず、日本人なら迷わず「今日はざるそば!」という心境のときに目につくのはギトギト熱々のピザとパスタ、そしてパッサパッサのサンドウィッチ。ホテルの朝食で無理やり歯が解けそうに甘いマーマレードクロワッサンを詰め込んでいた私はこれ以上パサパサ系食物を受け入れる気にもなれず、昼はビールで済ます日々。

そんな彷徨える私の命を救ったのがイタリアのファミレス的存在である“AMICO”でした。このレストランに辿り着いていなかったら、早々に栄養失調で病院行きだったに違いありません。特段美味しいものは無いのですが、何が良いかって、セルフサービス(社食、学食式)なので、会話することなく指さすだけで食べたいものを食べることができたのです。異国の地で知り合いも無く、ご飯の注文すら満足にできない私の行きつけのレストランの名前が“AMICO(友達)”なんて、泣かせるではないですか!(笑)

私が初めてきちんとした手作りのイタリア料理を口にするのはイタリア到着から11日目のこと。それはその後出会い、同居することになる日本人インテリアデザイナーの感動的に美味しいパスタ。そこに至るまで、ひもじい日々はまだまだ続くのでした。

 

つづく・・

※この思い出話の舞台は1994年-1996年のイタリアです。スマホはおろか携帯電話やデジカメ、パソコンすら一般家庭に無い時代であり、主な通信手段は国際電話かFAXでした。

 

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