google-site-verification=ZSVZx6rhMycxY93zzBpKm4M211dke9DmJlUO482qXS0

【あの頃イタリアで その36 突如目覚めた謎の特殊能力】

投稿者 :佐々木英理子 on

こんにちは。秋の行楽シーズンを楽しんでいますか?暑くも寒くも無いし花粉も少ない、今が一番過ごしやすい季節ですね!私もそうですが、きっと皆さんも久しぶりに友人たちと再会できているのではないでしょうか?

さて、今日は、突如授かった特殊能力のお話・・・

-----------------------------------------------

三度目の引っ越しが完了した199411月の終わり。

ひと月前に始まったばかりのデザインスクールであるが、この頃になるとクラスのみんなが互いに打ち解け、かつての語学講座でそうだったように(その17参照)、フェスタ(ホームパーティー)熱が再燃し始めた。

この時代の流行りなのか、はたまたこちら方面の方々の習慣なのかは定かではないが、仲良くなるととにかくみんな自分の家に呼びたがる。そして自国の手料理を振舞うのがご挨拶となっているようだ。

フェスタをしたがるのは大体が海外からやって来たクラスメートだったことを思うと、夜一人っきりで家にいるのが寂しかったのかな~と、今となっては推察できる。

「え~!また今日もフェスタなの~?!」同居人の良美さんは呆れ顔。

先週はトルコ料理フェスタとイスラエル料理フェスタ。今日は、お調子者ミハイルの自宅でギリシャ料理フェスタだ。

ややマンネリ化して来た感のあるフェスタだが、その日のフェスタは一味違っていた。アテネでギリシャ料理レストランを営むミハイルの母がちょうどミラノに来ていて、みんなに手料理を振舞ってくれたのだ。

ギリシャワインと共にテーブルに並べられたミハイル母の手料理は、手料理と呼ぶには失礼なほどにどれもみな本格的に美味しく、いつになく満腹状態で岐路に着いた私であった。

・・・が、やはり何か違う・・・。なんだか最近、何を食べても何か物足りない気がするのである。なんだろう?この欠乏感は・・・。お腹いっぱいなのになぜか脳みそが満たされない。

そしてある夜見た夢がダイレクトにその謎を解明することとなる。

それは夢の中・・・真っ暗闇の空間。小さなテーブルの前に私は座っている。白いテーブルクロスの上には黄金に輝く大好物のかつ丼が一つ、煌々とライトアップされている。私の右手には既に箸が握られていて食べる気満々だ。

“さ~!食べよう!“前かがみになってかつ丼に箸を近づけたその瞬間!テーブルはス~っと私から前方に遠ざかる。え~?!焦って椅子を引き寄せ再チャレンジ!するとまたテーブルはス~っと遠ざかってしまうのだ。

な、な、なんだ?このドリフのコントみたないな夢。しかしそんなことよりも、そのまま目覚めてしまった私は、自分は今、猛烈に日本食に飢えているのだと言うことに気付いてしまった。

その頃のミラノには日本食レストランが2件ほどあったが、どれも高級レストラン。貧乏留学生の私には手が出ない。じゃあ自分で作ればいいじゃない!と言われそうだが、お恥ずかしい話、当時28歳にもなるというのに私が作れるのはせいぜい市販のルーを使ったカレーライスくらいであり・・残念なことに、自分で料理を作るという発想がそもそもない。

”日本食なんて食べなくても大丈夫!”そう思い込もうとする日々・・・すると、夢の中で不思議なことが起こり始めた。

次に見た夢もまた前回と同じように、私は小さなテーブルを前にしている。目の前にあるのは大好物であるお刺身の盛り合わせ。

“どうせまたテーブルが逃げて行くんだろうな~”と諦めつつ箸を伸ばしてみる・・・と、え?!掴めた!やった~!急いで口に運ぶと・・・き、き、消えた~!!(泣)

翌朝の喪失感は尋常でない。

そしてとうとう三度目の正直。三回目に見た夢の景色は少し違っていた。真っ暗闇ではない。

居酒屋のような空間。目の前には山盛りの筑前煮。諦め半分でそ~っと箸を伸ばす。よし、今度も掴めた。絶対無理だなと思いつつ、ゆっくり口に運んでみる・・・と・・・え~?!うそ?!美味しい!!筑前煮だ!!

なんと、私は日本食が恋しいあまり、とうとう夢の中で美味しい筑前煮を食べてしまったのである。さして好物でもないのに初めて夢で食べた料理がなぜ筑前煮だったのかは未だに不明。

それからというもの、私は夢の中でいろんなものを食べられるようになってしまった。何なんでしょう?この不思議な能力?機会があったら是非、脳科学者の先生方にお尋ねしてみたい。

しかし残念ながら、日本に帰国して、思い通りに好きなものを食べられるようになると同時に、その能力は薄れて行ってしまった。

今でもたま~に「夢の中でケーキ食べた!美味しかった~!」と言って、夫をビックリさせることがありますけどね(笑)

つづく・・・

 

※この思い出話の舞台は1994年-1996年のイタリアです。スマホはおろか携帯電話やデジカメ、パソコンすら一般家庭に無い時代であり、主な通信手段は国際電話かFAXでした。

 

【この次を読む】

【この前を読む】

【その1から読む】

『にほんブログ村』で読む

 


この投稿をシェアする



← 投稿順 新着順 →


0件のコメント

コメントを残す

コメントは承認され次第、表示されます。