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【あの頃イタリアで その42 校内デザインコンペの奇跡3】

投稿者 :佐々木英理子 on

毎日寒い日が続いていますが、皆さんいかがお過ごしですが?風邪引いてませんか?私は来週月曜から渋谷で始まるPOP-UPストアに備えて、今日はゆるりとブログを書いているところです。

さて今回は”校内デザインコンペの奇跡”、最終回です。

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思えば、メールでやり取りができなかったあの時代はかなり不便だったなーと思う。今だったらスマホで撮影してメールで画像を送れば一目で確認ができることであっても、あの頃はそうはいかない。

電話で “あーしたい、こーしたい” と説明しても上手く相手に伝わらず、スケッチを書いてFAXで送る。それでも伝えられないとなると、実物を前に話をするべく現地に赴くしかない。こうして結局、ベッドが完成するまで3回ほど、マルコの車で工場へ通うことになった。

3回目に工場を訪れたとき、ベッドはほぼ完成していた。小さな製図版の上で書き込んだ平面のベッドがムクムクと起き出して図面を抜け出し、とうとう実寸大にまで成長した。それが今、目の前にある。そう思うと我が子のようで感慨深い。

「うわ~ホントにできちゃったんだね~!」

「こんな曲がりくねったデザイン、よく作ったよな!」とマルコ。

と、その帰り道、助手席のシートをチャリンコ少年オスカルに譲った私は、後部座席の窓の外を流れる景色を眺めながらふと思った。

“で?こんな大きいベッド・・どうするの?”よく考えてみると、あげると言われても困る。置き場が無い。送料のことを考えると日本に輸送するわけにもいかない。どうしよう・・・。

「ねえねえマルコ~、あのベッドどうしたらいいと思う?うち、置くとこないんだけど。」何気にマルコに聞いてみた。

「・・・へ?!」驚きのあまりこぼれそうになったギョロ目で、マルコがハンドルを握ったまま後ろを振り向く。

「え?!おまえ本気で言ってるの?!」あれ・・・なんか変なこと言った?

「ほんとバカだな!あのベッド貰えるわけないじゃん!デザインしたのはおまえだけど、あの試作品はメーカーのものだよ。だからメーカーの新作としてミラノサローネに出展されるんだよ。」・・・・なんのこっちゃ???

「エリコ、お前はイタリア語をもっと勉強した方がいいよ!説明されたこと全然分かってないじゃんか!」・・・まさかの本気の説教。が、真実が故、一言も反論できず・・・だけど・・・待って!それどころではない!

「今、ミラノサローネって言ったよね?!あのベッド、サローネの会場に展示するの?!」

「ああ、そうだよ。」ぶっきらぼうなマルコ。

「うそでしょ~~!!知らなかった~~!!」

「おまえはホントにホントにバカだ。」もはやマルコは振り向きもしない。

 

これは一大事である!アパートに帰るなり、同居人の良美さんに報告する。

「え~~!!凄いじゃない!おめでとう!だけどミラノサローネ来週末じゃない?なんで今頃の報告なの?」・・・え、あ、それは~え~と~・・・

こうして、校内デザインコンペで優勝した私のベッドは、あれよあれよという間に、世界最大規模の家具見本市であるミラノサローネに出展された。

おまけにイタリアのインテリアデザイン誌“INTERNI”の取材まで受けることになった。

そのときの紙面をちょっとだけ

ベッドが完成した後、家具メーカーからベッドとお揃いのサイドテーブルやチェストのデザインを依頼されて言われるがままに図面を描いたが、その後なんの音沙汰も無いということは、マルコの忠告も虚しく(その41参照)全く売れなかったのだと思う。

万が一、あの時ベッドが売れていたら・・・私は今頃、日本人インテリアデザイナーとしてミラノに自分のスタジオなんか持っちゃったりして、ワイン片手に生ハムとチーズに埋もれながら暮らしていたかも知れないな~・・・・

な~んて妄想してみたりするのです(笑)

 

つづく・・・

※この思い出話の舞台は1994年-1996年のイタリアです。スマホはおろか携帯電話やデジカメ、パソコンすら一般家庭に無い時代であり、主な通信手段は国際電話かFAXでした。
 

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