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【あの頃イタリアで その58 病的睡魔の挙句の連帯責任】

投稿者 :佐々木英理子 on

こんにちは。本日は期間限定ショップの合間、2週間ぶりのブログを書いています。ここ最近、暑いと思いきや突然涼しくなったり、土砂降りかと思いきや全く降らなかったり。台風の時もそうなのですが、こんなにお天気が不安定だとなぜか私は物凄く眠くなってしまうんですよね~・・・

さて今日は、イタリア留学中でいっちばん眠かった授業のお話し・・・

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私がミラノで暮らした1994年から1996年頃、パソコンは仕事では徐々に使われだしていたが、一般家庭にはまだまだ普及しておらず、ようやく学校の授業で取り上げられだした頃であった。私が通っていたデザインスクールでも「パソコンとはなんぞや?その仕組みについて」的な授業が必須科目として4年生の授業の一環に組み込まれていた。

私はその授業が嫌いであった。別にパソコンが嫌いだったわけではないが、その授業を担当していた教師がとにかく嫌なやつだったのである。年の頃40代前半くらいのイタリア人、パソコンよりも格闘技が似合いそうな無骨な感じの男性。その髭面の教師の本名はあの当時も今も不明であるが、なぜかみんなにピッツィと呼ばれていた。

この教師、人種差別的思考があるのかどうか、イタリア人には優しいのだがなぜか他国からやって来た学生には辛く当たるのである。私もよくそのイライラの標的にされ、授業中に理不尽なことで怒鳴られたものだ。

朝起きて、あ~あ~今日はピッツィの授業か~と思うと学校に行きたくなくなるほど嫌いだった。しかし私の脳内回路はどういう仕組みになっているのか・・・人一倍怒られると分かっていても、授業が始まりピッツィがパソコンの云々を語りだすと、不思議なことに突然眠くなってしまうのである。もしかしたら無意識のうちに脳みそが現実逃避をしていたのかも知れない。だとしたらかなりの重症だけど(笑)

悔し紛れに書いた当時の落書き。それにしてもヒド過ぎる。 ↓

クラスにパソコンが一台しか無いので、ピッツィのパソコンをみんなで囲むスタンディング形式の授業なのだが、とにかく眠くて立っていられないのである。そのうち体がグラグラ揺れて右に左に後ろに前に倒れそうになって一瞬持ち直し、また揺れるの繰り返し。そう、東京の電車でよくそんな人を見かける。

意識朦朧としつつも、背後でマルコとミハイルがクスクス笑っているのが聞こえる。そしてやつらはしばらく私が揺れるのを楽しんだ後、頃合いを見て背中をつつくのである。

「おい!エリコ!起きろよ!ピッツィに怒られるぞ!」

ハッとして一瞬目覚めるも、またすぐ意識は遠のく。そしてまたやつらは笑う・・・と・・・

「おい!そこの3人!聞いてるのか!」わ~!!突然のピッツィの怒鳴り声に3人とも固まる。

「よ~し、おまえら俺の横に来い!今すぐ来い!」一瞬ためらうも、おずおずと3人で前に出る。

「いいか!ここがおまえたちの席だ!今日からずっと俺の横で授業を聞け!」え~~!!3人無言で顔を見合わせる。

そして、その日から私はマルコとミハイルを道連れに、大嫌いなピッツィの真横で授業を聞かされることになった。さすがに寝ている状況ではない。

「おまえのせいだからな!おまえがあんなに寝るからだぞ!」

「いや!あんたたちが笑わなかったら気付かれなかったんだから!」

悔し紛れにミハイル画伯が書いた爆睡する私 ↓

 あれから数十年経った今でも、私の居眠り癖は健在です。急激な天気の変動はもちろん、セミナーのセの字を聞くだけで気絶できるほどの重症です(笑)

つづく・・・

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