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【あの頃イタリアで その59 猫と分かりあうまでの1週間①】

投稿者 :佐々木英理子 on

こんにちは。

なんちゃって梅雨明け宣言から約一か月、関東にはホントの夏が来たようですね!私は嵐のようなPOP-UP月間を終え、ようやく・・今度こそホントに一息ついているところです。

私の仕事場には3匹の猫がおりますが、私がカリカリ仕事をしていると近寄りもしないのに、こうやって心穏やかにデスクに向かっていると、なぜか彼らは分かるのですね~。どこからともなくスリスリと近寄って来るのです。

さて、今日のあの頃は、ミラノで一緒に暮らしていた2匹の猫のお話。今でこそ立派な猫親(?)になった私ですが、あの頃はまだまだ猫との間に大きな心の壁がありました・・・

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私と良美さんが暮らすミラノのナビリオ地区にあるアパートメントには2匹の猫がいた。というよりも、私が良美さんのところに転がり込むずっと前から、良美さんは猫を飼っていたのである。

小柄なグレーのトラ柄猫「マル」(推定5歳のメス猫)といかつい黒猫の「サンボ」(推定4歳のオス猫)。私の薄い記憶によると友人が保護した捨て猫を止む無く引き取ったとのことだったが、良美さんはこの2匹の猫たちを我が子のように可愛がっていた。

私が机に向かっていると、荒くれ者サンボに追いかけ回された気弱なマルが、決まって私に助けを求めて足元に避難してくる。何故かって私は弱い猫イジメをするサンボよりも断然、か弱いマルの味方だからである。そう言えば、マルが必死に私の足元に隠れても尚、しつこく猫パンチを繰り出すサンボを足で追い払っていたところを良美さんに見つかり、「サンボにも優しくしてあげて!」と怒られたことがあったっけ(笑)

この2匹に対する良美さんの愛は、それはそれは深かった。私たち人間が空っぽの冷蔵庫を前に立ち尽くしているときでも、マルとサンボのそれぞれのお皿にはいつも3種類のご飯が並んでいた。猫用ウェットフードとドライフード、そして焼き魚の身をほぐしたものなど。どう考えても私たち人間の食事よりゴージャスなのである。

あれは199511月のこと。同居を始めてから一度も外泊したことがなかった良美さんに突如お留守番を頼まれた。

「あのね、来月のクリスマス休暇なんだけど、あなたがミラノにいるうちにスウェーデンのお友達のところへ遊びに行こうと思うの。で、お留守番頼んでいいかしら? ずっと1人だったから、この2匹を残して旅行にも行けなかったのよ~。」

「え~!猫のお世話なんてしたことないよ~!」

私が物心ついた頃から実家には外猫同然の猫が数匹いたので猫は嫌いではないが、トイレの片づけはもちろんご飯の与え方もわからない。だってその当時の田舎の猫たちはみんな外に出て勝手気ままに生きていたのだから。

「大丈夫大丈夫!やることは全部メモしていくし、ご飯も一食ごとに分けて用意しておくから!」

「・・・だ、だ、だけどさ~サンボ、アレルギーでラッパ(エリザベスカラーのこと)してるじゃん!これどうしたらいいの?」

その頃サンボは私に足蹴にされたストレスからか頭頂部に円形のハゲができてしまい、つい3日前に病院でエリザベスカラーを被せられたばかりだった。

「大丈夫大丈夫!毎日お薬塗ってくれればいいだけだから。」

「え~!私がサンボに薬塗るの?!」

「大丈夫だってば~、たった1週間だし。」

「・・・」

こうして私は1995年の貴重なクリスマス休暇をラッパ猫サンボと、臆病猫マルと共に過ごすことになってしまった。

猫に心を許していない人間と、人間は猫以下だと信じているに違いない2匹の猫との奇妙な1週間のお話はまた今度。

 

つづく・・・

 

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