【あの頃イタリアで その67 卒業設計は嫌でも幕を開けるのだ】

投稿者 :佐々木英理子 on

こんにちは。大変ご無沙汰しておりました!ほぼ一か月振りのブログ更新です(汗)期間限定ショップ開催の慌ただしさにかこつけて、ついついお天気の良さにうつつを抜かしてしまった次第です。

さて、久々の今回は舞台をアルバイト先から学校に移します。いよいよ始まる卒業設計。果たしてどうなることやら・・・

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生活費の足しにと、設計事務所でのアルバイトに精を出していた私だが、その間学校に通っていなかったわけではない。授業がある日以外は朝9時半から夕方4時までアルバイトをし、それから学校へ行って卒業設計の作業に取り掛かるという慌ただしい毎日を送っていた。

卒業設計は34人で1グループを作り、1つの課題に取り組むことになっていた。課題の選択肢は2つ。まず初めにインテリアデザインか建築デザインのどちらかを選ばねばならない。

インテリアか建築か・・・インテリアデザインを学ぶために留学したのだからどう考えてもインテリアを選ぶべきだと今となってはわかるのだが、その当時の私はなぜか悩みに悩んだ。

いつまでもグズグズ決められない私とは裏腹に、仲良し3人組のお調子者ミハイルと箱入りマルコは早々に課題を決めていた。ミハイルはインテリア、マルコは建築である。

「ミハイルとマルコが同じ課題を選んでたら私も迷わずそれにしたのにな~」と他人事のように呟く私に、見かねてマルコが言う。

「そんな悩むんだったら一緒に建築デザインやろうよ!早く決めないと他のメンバー入れちゃうぞ!」

「え~~!ちょっと待って待って!やるやる建築デザインやるからグループに入れてくで~!」

こうして私の卒業設計の課題は建築デザインに決まった。いつも通り、何の信念もない。

とにもかくにも卒業までの約5か月間、苦楽を共にする4人のメンバーがようやく出揃った。マルコと私、そして思考系日本人の吉本くん、シチリア出身の豪快女子ダニエラだ。私以外は全員優秀。申し分ないメンバーである。(おまえが言うな!笑)

設計課題の詳細説明がされるその日、同時に私たち建築デザインチーム担当の教師が発表されることになっていた。いよいよその名前が発表された瞬間、私たち4人は一斉に顔を見合わせた。なんと・・・担当教師は泣く子も黙る強面建築家、ルカ・スカケッティー。入学式のときの苦い思い出が脳裏をよぎり、ピリリと緊張が走る。(その32参照)

そのルカの口から重々しく発せられた設計課題は、“大都会の中の老人ホーム” 一同更に静まり返る。ちなみに、インテリアデザインチームの課題は“新しい形態のカフェテリア”。断然そっちの方が楽しそうでなのである。メンバーとはしゃぐミハイルが恨めしい。

設計課題説明会終了後、4人のメンバーで初のミーティングをした。テーブルの上にはルカから手渡されたミラノ市内のとあるビルディングの図面が広げられている。歴史的建造物を修復しながら住み続けるイタリアらしく、今回の課題でも実在するビルを老人ホームに改装することになっている。

マルコ「老人ホームって・・・考えたこともなかったよな。」

ダニエラ「どうする?何から始める?」

吉本くん「う~む・・・ 」

私「うむむむむ!」

 

私たちの長く苦しい卒業設計の幕開けだ。

 

つづく・・・。

※この思い出話の舞台は1994年-1996年のイタリアです。スマホはおろか携帯電話やデジカメ、パソコンすら一般家庭に無い時代であり、主な通信手段は国際電話かFAXでした。

 

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