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【あの頃イタリアで その66 日本人はできるんです!④】

投稿者 :佐々木英理子 on

こんにちは。関東はまたまた雨の週末です。私は21日まで開催していたPOP-UP ストアを終えてホッと一息。この三連休はゆるりとお家の片づけやら飼い猫の世話をしながら楽しい時間を過ごすつもりです。

さて、今日は新しいアルバイトシリーズの最終回です。(タイトルが分かりにくくてすみません)

新しいアルバイトシリーズ①はこちらから

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二度目の電熱線切断という衝撃・・・。深く考えれば考えるほどダッグと向き合う勇気は消え失せて行くので、一度頭を空っぽにしてオフィスに向かう。そしてドアをノックする前に思い切って外から大声で叫んでみた。

「ごめんないさい!また切れた!」

無言でドアを開けたダッグが笑顔であるはずがない。

「また?」それだけ言うとツカツカと作業室に向かい黙って電熱線を張り直す。

「だから気をつけてって言ったでしょ。」

「はい・・・ごめんなさい。」

不機嫌なダッグが作業室を去った後、作業を再開するのに(気を取り直すのに)随分時間が掛かった。あまりのプレッシャーに “これは一体どんな種類の地獄なの?” とさえ思う。しかし何故か "ごめんなさい!できません!" と降参する選択肢は1ミリも無かった。”とにかくひたすら "やらねば!やり遂げねばならぬ!" という一心だったのである。

 そして数分後、ようやく気を取り直し、再び発泡スチロールを手に取った私に更なる悲劇は起こる。

立て続けに電熱線を切ってしまった私は、ようやく力の入れ方を習得しつつあった。今度こそは力を抜いて電熱線が発泡スチロールを溶かすペースに合わせて手を動かす。ゆーっくりゆーっくり・・・と、一瞬電熱線が何かに引っかかった気がした。"あれ?" と思ったが、ここで力を入れるとまた電熱線が切れてしまう。"どうしよう・・・" その一瞬の躊躇がいけなかった。電熱線がみるみるうちに発泡スチロールを溶かし、予期せぬ方向にスルスルと進んで行く!

“あ〜!まずい!”思わず力が入ったその瞬間!“バチン!

・・・なんという虚脱感・・・。目の前には切れて弾けた電熱線と、あらぬ形にカットされた白い物体が転がっている。今度は電熱線が切れただけではない。発砲スチロールの塊も台無しにしてしまったのだ。

“どーすんのこれ?”あまりのショックに、魂が肉体を抜け出して天井から自分を見下ろしているような感覚に襲われる。28年間生きてきて身に付けた “ザ・幽体離脱の術” だ。・・・が、しかし、すぐに我に返る。

さて・・・どうしようか・・・。もちろんダッグに謝って全てを一からやり直すしかあるまい・・・しかし・・・そのまま一点を見つめて固まること数分間。突如として私は自分でも予期せぬ行動に出るのである。

これが人間の本能なのかどうか定かではないが、私はギリギリまで追い詰められると開き直ってしまう癖がある。決して誉められたことではないが、なぜか自己防衛本能的条件反射としてそうなってしまうのだ。

私はツカツカとダッグのオフィスに向かうと、おもむろにドアの外から大声でこう叫んだ。

「ダッグ〜!また切れちゃったよ!発泡スチロールもダメになっちゃった!ほんと難しいよこれ!どうする?もう一回試してみる?」何故か少し怒り気味だ。

さっきまでしおらしく作業をしていた私の豹変ぶりに驚いたのか、ダッグがびっくり顔でオフィスから出てきた。ダッグが口を開く前に更に畳み掛ける。

「ねえどうする?もの凄く大変だけど、これってできると思う?」私の勢いにたじろぎつつ、ダッグは作業室の中に無残に転がる発砲スチロールの塊を手に取り、繁々と眺めながらこう言った。

「そんなに難しいのか〜・・・。どうしようかな・・・。だけど予備はあるからもう一度チャレンジしてみてくれない?」

「うん、いいよ。やってみるよ!」散々失敗したくせに、なんとも太々しい開き直りっぷり!

結局、別荘の模型が完成するまでの3週間、記憶に残っているだけで私が切った電熱線は計6本。失敗した発泡スチロールの塊は4個にもなった。

ダッグはその度にブツブツ文句を言い続けたが、それでも完成した斜面に別荘を配置し、プールを埋め込み、小さな破片で数台の自動車を作り、細く割いた発泡スチロールで葡萄棚を作って葡萄までくっつけたときには、初めて笑顔を見せた。

「すごいな〜!やっぱり日本人は器用だね!」

はっはっは!見たか日本人の底力を!

こうして私はまんまと "日本人模型作ると上手い説"の片棒を担いでしまった。その後、果たして何人の日本人がミラノの設計事務所で模型作りをさせられたのか・・・知る由もないのです。

 

つづく・・・。

※この思い出話の舞台は1994年-1996年のイタリアです。スマホはおろか携帯電話やデジカメ、パソコンすら一般家庭に無い時代であり、主な通信手段は国際電話かFAXでした。

 

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