【あの頃イタリアで その83 トスカーナ卒業旅行① 出発の朝】

【あの頃イタリアで その83 トスカーナ卒業旅行① 出発の朝】

こんにちは。来ましたね~夏休みですね~。台風の状況が心配ですが、皆さんはどんな休日を過ごす予定ですか? 私は半年振りに北の実家(別名”養豚場”) に帰ります。ビール片手に枝豆とトウモロコシ三昧を夢見て(笑)

 

さて、今日の”あの頃”はいよいよ卒業旅行に旅立ちます。実際に撮った写真がたくさんありますのでお楽しみに!

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出発の朝が来た。

荷物は最低限にしたのだが、用意したサイドバック(自転車の荷台の横に下げるバック)はパンパンだ。それに寝袋とテントを入れると全部で20㎏くらいになるだろうか。

「あなたホントに大丈夫?こんなに荷物積んで自転車漕げるの?しかもトスカーナの丘陵地帯でしょ?」

同居人の良美さんが心配そうに見つめるも、今更どうにもならない。

「大丈夫だよ!いざとなればマルコとオスカルがいるし!」と言ってはみたものの、あいつらが ”オレが持ってやるよ!” なんて言うわけがない。

※イメージ

約束の午前7時。マルコがイタリア人には珍しく時間通りに玄関の呼び鈴を鳴らした。

「オッケー!今行く!」

良美さんに手伝ってもらいながら、自転車と荷物をアパートメントの1階まで運び下す。

外に出るとマルコとオスカルが車の屋根に自転車を積んでいるところだった。

「うお!すご!3台とも屋根に積めるの?」

「ああ、自転車用のキャリアを付けたんだよ。」

さすがマルコだ。それでもバランスよく積み込むにはコツがいるらしく格闘すること約30分。私たちはようやくミラノを出発したのである。

※実際の写真 ↓

マルコの愛車はひたすらトスカーナを目指して高速道路を南下する。あっという間にパルマ、ボローニャを通り過ぎ、トスカーナ州に突入。かの有名なフィレンツェを横目でやり過ごす。私たちが目指すのは大きな町ではない。“トッリータ・ディ・シエナ”という聞いたこともない古い小さな町。マルコの作戦からすると、そこの空地に車を停めて(無断駐車とも言う)自転車に乗り換えるのだ。

※ミラノ~トスカーナ ↓

※ミラノからトッリータ・ディ・シエナまでの道のり ↓ 確かでは無いが多分こんな感じ

食事も取らずに走り続けること約5時間、車はようやく高速を降りた。そこから更に田舎道を走ること約30分。ようやく遠くに高台に建つ美しい町が見えて来た。あれが “トッリータ・ディ・シエナ”だ!

※トッリータ・ディ・シエナ遠景 ↓

来た~!とうとう来た!ここが今回の旅の本当の出発点になる。

私たちは町外れの空地に車を停めた。民家からはやや距離があるものの、果たして10日間も無断で車を停めて置いていいものなのか・・・いいらしい 笑(byマルコ&オスカル)

はやる気持ちを抑えつつ、まずは自転車を降ろして各自荷台に荷物をセッティングする。私も愛車の荷台にサイドバックを取付け、テントと寝袋を落ちないようにしっかりとくくり付けた。

「よし!完了!」満面の笑みで振り返った時、ふと気付いた。私の荷物が一番多いということに。“え?なんで?!” サイドバックの大きさは大して変わらないのに何かが違う。

ジッと荷台を見比べること数秒。そして分かった。私は自分用のテントと寝袋を積んでいるのだが、やつらは2人で1つのテントで済む。よって、テントと寝袋は交代交代で運ぶと言うのだ。

う~む・・・図体がデカい二人よりチビッ子の私の方が荷物が多いとは・・・“解せぬ!”と一瞬思ったが、こればっかりは仕方あるまい。やつらと一緒のテントに寝るなんてまっぴらごめんなのだ。

※トラットリアの前 ↓ 度重なる手動洗濯のため、伸び切った私のTシャツの裾が気になる(笑)

荷物を積み終えると、町の小さなトラットリア(食堂)で簡単に腹ごしらえをし、いよいよサドルにまたがる。緊張と興奮が入り混じった2人の顔。私も同じ顔をしているに違いない。

スタートは町外れの高台だ。眼下には一面、初夏のトスカーナの大地が広がっている。アップダウンを繰り返す地形の所々に、この地方の風景を特徴付ける糸杉が建ち並んでいるのが見える。この広い大地にに飛び込むように、先ずは風を切ってひたすら坂道を下って行けばいい。

マルコが丸い目を見開いて私とオスカルに小さく頷く。スタートの合図だ!勢い良く地面を蹴った途端、荷物の重さで自転車のハンドルが取られ、激しく左右にぐらつく。

「おっとっとっと!」と言っている間にマルコとオスカルの背中がドンドン坂道を下って行く。

「ちょっとちょっと!待って!待て~!!」

 

私たちのスタンドバイミー的自転車旅行はとうとう幕を開けたのである。

※イメージ 

つづく・・・

 

※この思い出話の舞台は1994年-1996年のイタリアです。スマホはおろか携帯電話やデジカメ、パソコンすら一般家庭に無い時代であり、主な通信手段は国際電話かFAXでした。

 

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