こんにちは。暑い日が続いていますが、皆さんいかがお過ごしですか?私は未だ夏休み気分から抜け出せず、平日と休日の境目が無い毎日を送っています。
「そろそろ何とかせねば!よ~しダラダラするのもこれで最後だ!」と毎夜思う今日この頃(笑)
さて、卒業旅行は初めての夜を迎えます・・・
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※旅の大まかなルートは多分こんな感じ ↓
1996年7月4日。私たちは一つ目の目的地であるモンテプルチャーノを目指して自転車を漕いでいた。
出発地点の“トッリータ・ディ・シエナ”からは直線距離で約12㎞。スタートしたのは昼過ぎであったが、夕方前には余裕で到着すると思っていた・・・が、されどここはトスカーナ・・・そんなに甘くは無い。私たちは1日目にしてトスカーナの厳しい洗礼を受けることになる。
※イメージ ↓
目の前に平らな道など見当たらない。ひたすら上って下って、また上って下ってを繰り返す道。ましてやモンテプルチャーノはトスカーナの中でもひときわ高い丘の上に建つ風光明媚な町として有名である。それ故、町が近づくに連れひたすら上りが続く。
あまりの急こう配にペダルが止まり、自転車を降りて押しながら歩くも、なにせ20㎏近い(多分)荷物を積んだ自転車である。そう簡単に言うことを聞いてはくれない。よろめきながら休み休み、ハンドルに力を入れて少しずつ坂道を押し上げる。
マルコとオスカルの後ろ姿を幾度となく見失い、やっと追い着いたと思いきや、次の坂道でまた見失うの繰り返し。そうこうしているうちに、美しい景色を堪能する余裕も無いまま、あっという間に日が暮れてきた。
※遥か遠くに見えるモンテプルチャーノ ↓
「これ以上進むのは危険だなー。よし、今日はここでテントを張ろう!」
マルコが止む無く自転車を止めたそこは、水道も明かりも何もないただの空地。レストランの明かりはもちろん、民家の明かりすら見えない。
“え~!こんなとこで~!?” 理不尽な文句の一つも言いたいところだが、文句を言ったところでこれ以上進む気力も戻る体力も無い。私とオスカルは無言の同意をして自転車を降りた。
まずは日が落ちてしまう前にテントを張らなければ!残る力を振り絞って各自テントを組み立てる。
「明かりも無いし、もう今日は寝るしかないね・・・」と私。(この時代はスマホも携帯電話も無いから本当に真っ暗なのだ。)
「そうだね・・・。」と力無く答えるオスカル
「その代わり明日は早起きして出発しよう。」とマルコ。
それだけ言い残すとそれぞれのテントへと転がり込んだ。
“さ~てと・・・” テントのファスナーを閉め、薄暗がりの中でふと我に返る。
7月の日差しの下、必死で自転車を漕いで(押して)来た体は言うまでもなく汗でベトベト。
せめてタオルで拭きたいが、水筒に残っているのは貴重な飲料水である。使うわけにはいかない。とは言え、このままでは気持ち悪くて眠れない。しばし考えた末、私は持参していたベビーパウダーを全身に叩きまくることにした。まさに、“臭い物には蓋をしろ”的応急処置である。
汗をかきまくっただけではない。日焼け止めだって塗ってある。その上にベビーパウダーなんて・・・いっそのこと、油でカラリと揚げて欲しい気もする。
いろいろ考えるとひたすら気持ち悪いが、それでも生理でなかっただけまだマシだと自分に言い聞かせながら、(その78参照)無心で粉まみれになり、マメ大福の如く地面に丸くなった。
翌朝、激しい空腹で目が覚めた。外はもう日が昇っているらしく、薄い生地で覆われたテントの中は明るい。
ボーっとテントの天井を見上げたまま、昨夜マメ大福になったことを思い出した。恐る恐る空中に両手を突き出し、左腕の肘の辺りを右手の人差し指と中指で擦ってみる・・・と、“ウギャ~!!” 皮脂と砂埃と日焼止めを吸収して茶色く固形化したベビーパウダーがボロボロと胸の辺りに落ちて来るではないか!一気に起き上がり、何も見なかったことする。
テントのファスナーを開けると、寝ぼけ顔のマルコとオスカルが朝の強烈な日差しを浴びながらテントから顔を出していた。二人とも薄汚れて見える。
※ヨレヨレながらも記念写真
「おはよう・・・」
「おはよう・・・」
「さ~て、先ずは食料探そうか」
「うん、そ~だね、そ~しよ~。」
2日目にして既にやつれ気味の三人。しかし、まだ旅は始まったばかりなのである。
つづく・・・
※この思い出話の舞台は1994年-1996年のイタリアです。スマホはおろか携帯電話やデジカメ、パソコンすら一般家庭に無い時代であり、主な通信手段は国際電話かFAXでした。