【あの頃イタリアで その82 卒業と別れは嫌でもやって来るのだ】

【あの頃イタリアで その82 卒業と別れは嫌でもやって来るのだ】

こんにちは。暑い名古屋から暑い東京へ帰って参りました。8日間のホテル暮らし・・と書くと優雅に聞こえますが、格安ビジネスホテルでの久しぶりの一人暮らしは楽しかったな~(笑)

 

さて、イタリア留学はとうとう卒業式を迎えます・・・

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その日は晴天だった。学校側の粋な計らいの下、卒業式は太陽が降り注ぐ校舎の中庭で行われることになった。狭い庭内に建築からグラフィック、ファッション、インダストリアルetc…全てのコースの卒業生と教師が集まるのだから結構なすし詰め状態だ。

私が専攻する建築デザインコースは全25人中、留学組12人が既に帰国していたので、私とミハイルを含む残留外国人とイタリア人、計13人が学長らしき人物から一人ずつ卒業証書を受け取った。みんなラフな格好をしている中で、マルコだけジャケットにネクタイをしているのが七五三みたいで笑える。

卒業式が終わるとクラスごとの写真撮影会が始まった。私たちもクラス全員の顔写真入り記念Tシャツに着替えて記念撮影。マルコはいつのまにかジーンズに着替えている。

↑ 実際の写真:一番左がダニエラ、ネクタイしているのがマルコ、口に手をあてているのがミハイル、座っているのがアホ丸出しの私

 

明日にはロンドンへ旅立つというのだから、ミハイルと会うのは今日が最後だ。

「なあなあエリコ!なんであいつネクタイしてジャケット着てたの?!クックック!」

「わっかんない!笑えるよね!」

心の底に一旦蓋をして、この日はミハイルと久し振りに他愛無い会話をして笑い合った。お互い手紙のことには触れなかったし、ロンドンの話も卒業旅行の話もしなかった。

マルコも笑顔でミハイルに話し掛けているのを見て少しホッとする。最後の最後にいろいろあったとはいえ、この2年半もの間楽しく過ごしてきた仲間なのだ。しかめっ面のまま別れるのはあまりにも悲しい。

夜はミラノ郊外のピッツェリアで正真正銘、最後の打上げ。明日にはほとんどの留学生がミラノを発つのだ。

“このクラスメートたちと会うのはこれが最後かもしれない。” 誰しもがそんな思いを抱えながら、ふと寂しくなる気持ちを振り切るかのように思いっきりしゃべって笑って騒いだ。はしゃぎ過ぎてへとへとになり、それぞれが口数少なめになってもその場を離れがたく、お腹いっぱいになった後はピッツェリアの前の芝生の上に座り込んでただただ一緒に時を過ごした。

夜が更けるに連れ、一人、また一人、別れを告げて去って行く。

「元気でね!また会おうね!絶対手紙ちょうだいね!」在り来りで短いけれど、心の底から溢れる本気の言葉を何度も何度も交わして全員とハグをした。

「日本でお酒飲み過ぎないようにね!」控え目ミラネーゼのミレーナ(その56参照)は涙目でそう言った。

「エリコ!シチリアに来るときは連絡くれないと許さないからね!」ダニエラ(その75参照)はそう言い放って豪快に泣き笑いをした。

「ロンドンから手紙書くから、返事よこせよ!」

「うん、分かった。絶対に返事書くよ。」

「じゃあな!」

「うん、またね!」

ミハイルと交わした最後の言葉である。一瞬ではあったが、お互い素直な気持ちで通じ合った気がした。

 

こうして、ゆかいな仲間たちとの2年間のイタリア留学は幕を下ろした・・・

と、締めたいところだが、まだまだ私の留学生活は終わらない。

「さあ!いよいよだぞ!」マルコが丸い目をキラキラさせながら小声で囁く。

そう、そのトリを飾るのはもちろん卒業旅行!無念ながらミハイルは欠場となってしまったが、こうなったらもう割り切って思いっ切り楽しむしかあるまい!果たしてどんな冒険が待ち受けているのか?!(アニメ番組の前振り風 笑)待ってろよ~!トスカーナ!

 

つづく・・・

※この思い出話の舞台は1994年-1996年のイタリアです。スマホはおろか携帯電話やデジカメ、パソコンすら一般家庭に無い時代であり、主な通信手段は国際電話かFAXでした。

 

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