こんにちは。期間限定ショップにかこつけて2週間もブログをサボってしまいました!(;^_^A その間にあちらこちらから紅葉の便りが聞こえてきましたね!今年は紅葉見ながら温泉入りたいな~・・・(妄想中♨)
さて気を取り直してと、今日はトスカーナで迷子になってしまったお話です。
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「マズいことになってしまったかも・・・いや、そうに違いない。」
1996年7月7日。私たち三人はそれぞれがそう思いながらも口に出せず、無言のまま自転車を漕ぎ続けていた。
農家の優しいご夫婦に別れを告げて(その87参照)から約2時間、目的地であるシエナ方面に向かう一本道をひたすら進んで来たのだが、その道が目に見えてドンドン細くなってきたのだ。
一本道なので脇道にそれることもできず、選択肢は行くか戻るかの二択しかないのだが、せっかく来た道を戻るなんて考えたくもない。私たちは嫌な予感を振り払いながらただただ前へと進んで来たのである。
※ ↓今日も快晴!
そして今、とうとうその道は鬱蒼とした森の中で途絶えてしまった。
「・・・どうする?」ようやく自転車を止める三人。
「参ったな・・・」とマルコ。
しばし無言のまま目の前に立ちはだかる木々を睨みつける・・・と、オスカルが呟いた。
「あ・・・あれは道じゃないか?」
よ~く目を凝らすと草むらの向こうに草木で覆われた細い道が見える。道と言っても人一人が辛うじて通れるような “ザ・ケモノ道” だ。
※ ↓イメージ
“いや~いくらなんでもこれは無理だわ~。悔しいけど戻るしかないわ~。”と思ったその時、隊長マルコが自転車を押しながらグイグイと草むらに入って行くではないか!
「ちょっと!マルコ!ホントにこの道行くの?」
「行ってみようよ。道があるってことはどこかに着くはずだよ。」
「そりゃ~“ どこか ”には着くだろうけどさ~・・」
「だってまた何時間もかけておんなじ道を戻るのは嫌だろ?」
「そりゃそうだけど・・・」
横目でオスカルの様子を伺うも、その無表情な顔は “ どうぞお好きなように ”と言っているようにも、全てを諦めたようにも見える。
※ ↓イメージ
疑心暗鬼のまま30分ほどケモノ道を進んでいた時である。唐突に目の前が開け、木々の間から眩しい光が差し込んで来た。
「え?!やった!脱出した!」・・・と叫んだ私は甘かった。
目の前に現れたのはどこまでも続く一本の線路。なんとか森は抜け出たものの、そこには低木に囲まれた線路しか無い。
一同ガッカリしたものの気を取り直して、方位磁針が指し示すシエナの方角に向かって線路沿いを歩くことにした。
「なんかオレたちスタンドバイミーみたいだな!」とマルコ。
「うんうん!そう思ってた!」と私。
「おまえら余裕だなー。」とオスカル。
※ ↓わ~い!スタンドバイミーだ~!とはしゃぐ人その1
※ ↓わ~い!スタンドバイミーだ~!とはしゃぐ人その2
・・・が、それは一時間前の会話である。
線路脇の細い路肩を荷物を積んだ自転車を押しながら進むのは容易なことではない。
ハンドルを押し続けた結果、いつの間にかできてしまった手のひらのマメは痛むし、砂利で足を滑らせて倒れてしまったときには、左側の草むらのすぐ向こうが崖になっていることに気付き、顔面蒼白になった。
一体どのくらい歩き続けたのだろうか?行けども行けども線路しか見えない状況に、しまいにはみんな無口になってしまった。
はたしてその状況をどうやって脱出したのか・・・意識が朦朧としていたせいか、実はあまり良く覚えていない。恐らく“どこか”でまともな道に行き当たったのだろう。
その日の夕方、私たちはこの旅最大のヘトヘトベトベト状態で、名も知れぬ小さな町に辿り着いた。その町外れの名も知れぬお城がある公園を今日の寝場所に決め、水飲み場の水道で顔を洗い体を拭き、晩ご飯もそこそにテントに転がり込んだのである。
※ ↓「おまえらは簡単に裸になれていいよなー!」と思いながら顔を洗う私
※ ↓公園の水飲み場で水浴びした後の子供二人(笑)
旅4日目にして、もはやシャワーができないことなんて気にならなくなっていた。それより何よりとにかくぐっすり眠れる場所があればそれでいい。
” 明日こそシエナに着けるかな~?本当にシエナに行けるのかな~?・・・ま、いっか・・・あ~眠い・・・あ~もうダメだ・・・ZZZzzz“
今日も瞬時に爆睡する豆大福(その84参照)なのであった。
つづく・・・
※この思い出話の舞台は1994年-1996年のイタリアです。スマホはおろか携帯電話やデジカメ、パソコンすら一般家庭に無い時代であり、主な通信手段は国際電話かFAXでした。