今日は1996年7月9日、トスカーナ自転車旅行7日目の朝が来た。
昨夜は設備が整ったキャンプ場のシャワールームで2日分の汚れをきれいさっぱり洗い流したので、今朝は気分爽快である。しかも今夜もここに宿泊するので、今までのように朝早くテントを畳んで慌ただしく旅立たないで済む。
この旅始まって以来ののんびりした朝だ。
昨日の雨の名残りか、プールサイドから見上げる空にはまだ雲が多いが、合間から刺す日差しは夏そのもの。
旅が始まってから今日まで、私たちは古都シエナを目指して必死に自転車を漕いできた。そのシエナがとうとう目と鼻の先(ここから30分行ったところ)にある!確実に手が届く!
・・・となると人間不思議なもので、今まで張り詰めていた気持ちが一気にズルルンと緩んだ。それと一緒に、積もり積もった疲労がドドド~ンと全身を包み込む。
オスカルがプールではしゃぐ子供たちに目を細めながらつぶやく・・・
「しっかし、ここ・・・気持ちいいな~・・・」
マルコも珍しく気だるそうだ。
「・・・どうする~?午前中はここでのんびりして、シエナに行くのは午後にしよっか~?」
私はもはやあまりの心地良さに意識が遠のいている・・・
「だね~~そ~しよ~~~zzz・・・」
というわけで、プールサイドに寝そべったまま時はズルズルと過ぎ・・・結局私たちがシエナの地を踏んだのはその日の夕方、やむなく晩ご飯の買い出しに出掛けたときであった。
※ ↓ 一気に気が抜け過ぎて、感動どころかボーっとしているように見える三人(笑)
”せっかくシエナに到着したのにこのままではいかんいかん!”ということで、私たちはようやく正気を取り戻し、翌朝改めてシエナ観光に繰り出した。
※ ↓ 翌朝のシエナ大聖堂
※ ↓ 誰が撮影したのか?バックのシエナ大聖堂が全く写っていない(笑)
シエナは町全体がユネスコの世界遺産に登録されている。中世の佇まいをそのまま残した町全体が見どころなのだが、中でも特にシエナ大聖堂と世界で最も美しい広場と言われるカンポ広場は外せない。
私たちは見ることが叶わなかったが、カンポ広場に砂を敷き詰めて行われるパリオ(競馬)は有名である。
※ ↓ 広場に佇むマルコとオスカル
この時代はバブル崩壊後とはいえ、まだ世界中の観光地に日本人が繰り出していた頃である。カンポ広場にもあちらこちらに日本人観光客の姿があった。
石畳の段差にタイヤを取られながら自転車を押していると、突然背後から声を掛けられた。
「あの~・・すみません・・・日本人の方ですか?」綺麗な身なりをした日本人女性三人組だ。同年代に見える。
「あ、は、はい・・・」いきなり話し掛けられてややビックリの私。
「ほら~!やっぱり日本人だ!」私に声を掛けた女性がこう叫びながら後ろの二人を振り返った。
「・・・あ!ごめんなさい!現地の方らしき人と自転車に乗っていらっしゃるから、どこの国の方かな~って三人で話してたんです~!突然話しかけてすみませんでした!」
彼女たちが去った後、私は伸び切ったTシャツの裾を両手でつかみ、マジマジと眺めた。目線の先には日焼けした膝小僧と薄汚れたスニーカーが見える。(幸い顔は見えない) “う~む・・こりゃ~どこからどう見ても怪しい東洋人だな・・・”と静かに納得する。
※ ↓ Tシャツの裾が伸び過ぎた怪しい東洋人とイタリア人らしき二人
”さ~て、シエナも見たことだし、キャンプ場へ戻ろうか!”
と言いたいところなのだが、今日はそうはいかない。陽が暮れる前にここを出発することになっているのだ。
きっと今日の寝場所にはシャワーが無いに違いない・・・なんだかそんな予感がする。でも水道くらいはあるかな?・・・無いかもね・・・ま、別に無くてもいっか!
10日間のトスカーナ旅行も残すところあと2日。旅終盤にして、ドンドンたくましくなる(?)私なのであった。
つづく・・・
※この思い出話の舞台は1994年-1996年のイタリアです。スマホはおろか携帯電話やデジカメ、パソコンすら一般家庭に無い時代であり、主な通信手段は国際電話かFAXでした。