こんにちは。寒いながらも東京近郊は紅葉が見頃を迎えています。調布市深大寺の紅葉もそろそろ真っ赤に染まる頃。今年は見逃さないようにしなければ!
さて、あの頃のイタリアブログもそろそろ最終回が迫って来ました。寂しような・・・いや、きっと寂しい(泣)
今日はマルコの口から突然の提案が・・・
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「あのさ、少し早いけど、明日ミラノに帰らないか?」
マルコからのいきなりの提案に、私とオスカルは豆鉄砲を食らった鳩のような顔をしていたに違いない。(そんな鳩、見たことも無いが)
今日は旅が始まってから7日目。マルコの計画では10日間の予定だから、あと3日残っている。
「なんで?なんで?!まだ3日もあるのに!」と反論したいところだが、オスカルも私も予想以上に自分の身体が疲れていることに気付いていた。それに加え、旅の一番の目的地であった“古都シエナ到達”を果たしてから、3人とも言い知れぬ脱力感に襲われていたのである。
マルコは旅程を切り上げるその理由をはっきりと言わなかったが、私は知っている。愛する彼女、エマ(その71参照)が恋しくなったに違いないのだ。
それは2時間前のこと。私たちは自転車のライトで真っ暗な道を照らしながら、今日の寝場所となる小さな町に辿り着いた。腕時計は既に9時を回っている。
いつものごとく、腹ペコを通り越して軽い飢餓状態の三人。幸いにも町外れの小さなトラットリア(食堂)の灯りを見つけ扉を開けた。ひなびた店内には私たちの他にお客はない。
そこで頼んだ豚の塩漬けとトマトソースのスパゲッティーはイタリアにしては珍しく茹で過ぎであまり美味しく無かったが、味は二の次。とにかく空腹を満たすのが先決なのだ。
全てたいらげ、一息ついた時である。
「ちょっと電話してくる。」とマルコが席を立った。
「へ?誰に?」
スマホが無い時代である。旅が始まって以来、電話の存在すら忘れていた私は素っ頓狂な声で返事をした。
「・・・エマに電話するんだ。」
「お!エマ!心配してるよきっと!うんうん、そろそろ電話した方がいいよ!」
電話すると言ったくせになぜかマルコはためらいがちな様子である。
「・・・実はさ、旅に出る前にエマと大喧嘩したんだ。それで・・・そろそろ謝ろうと思って・・・。」
「・・・そうだったんだ。」
「それでさ・・・エリコ、ちょっと電話に出てくれないか?」
「へ?なんで私が?」
「オレがホントに反省してるってことをエマに説明して欲しいんだよ。」
「へ?私が??」
マルコの手短な説明によると、既に社会人として働いているエマと、のんびり学生をしているマルコとのモチベーションの違いがケンカの原因。つまりエマは早く結婚したいのにマルコはまだしたくない。よくある話だ。
“旅から帰ったら真剣に考えるから、とにかくそんなに怒らないで許して欲しい”ということを伝えたいらしいのだが、そこにエマと仲の良い私の援護射撃が必要だという。
腑に落ちないまま店の外に連れ出され、半ば強引に公衆電話の受話器を渡された私は、“とにかくマルコはいいやつだから。信じていれば大丈夫だから。”というようなことをひたすらエマに訴え、マルコに受話器を返した。
その甲斐あってか、テーブルに戻って来たマルコは笑顔だった。(そういえばこの時のお礼をしてもらってない!笑)
マルコが帰ろうと言い出したのはこの2時間後のことだ。久しぶりにエマの声を聞いて、今すぐにでも会いたくなったに違いない。ホントにマルコは分かりやすいやつである(笑)
ま、理由はどうあれ、体力の限界を感じていた私とオスカルも、マルコの突然の提案に反論する余地などなかったのである。
つづく・・・
※この思い出話の舞台は1994年-1996年のイタリアです。スマホはおろか携帯電話やデジカメ、パソコンすら一般家庭に無い時代であり、主な通信手段は国際電話かFAXでした。