【続報その3 あの頃イタリアで】旅立ちの日

【続報その3 あの頃イタリアで】旅立ちの日

めっきり秋らしくなってきましたね。梨、柿、栗、ブドウ、新米、さんま・・・これで全部食べつくしたかな~?と再確認している今日頃。こうしてブログを書いている今も、「もう一回くらいサンマ食べたいな~」と思いを巡らしている私。皆さんは秋の食べ忘れ、ありませんか?(笑)

さて今回は・・・食いしん坊が故、突如 "再会の地”が変更になってしまいます。早速前回の続きをどうぞ。

  前回の投稿はこちら ↓

  【続報その2 あの頃イタリアで】悩んだ挙句のその果てに・・・

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マルコとミハイルに会いに行こうと決めた2月の初め、私はすぐに、2人が私を探し出してくれたFacebookから報告をした。

「決めた!あんたたちに会いにギリシャに行く!」

「ほんとか!!やった!!すごいぞ!!」

「いつ来る?」

「まだ決めてないけど、多分9月の初め頃かな~」

「よ~し!!」」

この短いやり取りの後、マルコはすぐに“WhatsApp(日本でいうLINE)”で3人のグループチャットを作ってくれた。

マルコが勝手に付けたグループ名は“Stronzi(ストロンツィ)”。直訳すると“くそったれども”となる。実に私たちにふさわしい命名(笑)アイコンはその昔、私のデジカメで撮った思い出の写真に決めた。“オレたちイケてる”と思っているであろう3人のドヤ顔が、”ストロンツィ”と呼ばれるに相応しい。

そしてここから話は急展開を迎えることとなる。

 

作りたてのグループチャットにマルコから第一声が届いた。

「やあ、く〇ったれ日本人とく〇ったれギリシャ人」

すかさず返す。

「やあ、超く〇ったれイタリア人」

これが大の大人が交わす会話なのか・・・なのである。テクノロジーが進化し、やり取りの方法は変わったとはいえ、会話の中身は30年前となんら変わらない。

 

“一番のく〇ったれ”と言われてまんざらでもない様子のマルコは、爆笑顔マークの後にこう続けた。

「ところでエリコ、ミハイルと相談したんだけど、集合場所はギリシャじゃなくてイタリアにしないか?オレ、ピエモンテに貸別荘持ってるんだ。」

 

”え?・・・そんなこと突然言われても・・・”である。私の頭の中は既に地中海の抜けるような青い空と青い海で溢れかえっているのだ。マルコのいうピエモンテとは、イタリアの北、2006年冬季オリンピックが開催されたトリノを有する限りなくスイスに近い州。頭に浮かぶのは山や森ばかり。ギリシャとは真逆のイメージだ。

「え~ギリシャじゃないの~?」と解せない私。

そんな私を諭すようにマルコは言う。

「ギリシャに行ったらきっとアテネだけじゃ足りなくて、いろんな島に行きたくなるだろ?そしたらホテル代すんごいかかるぞ。ピエモンテに来れば一人一部屋あるうえに、宿代はただで済む。」

“う~む。それは大変ありがたい。だけど・・・”

 

マルコは更にたたみかける。

「9月といえば、ピエモンテはちょうどトリュフやポルチーニ茸が採れる季節だ!美味しいぞ~!」

“おお!ト、ト、トリュフ!” 地中海の青がにわかに霞みだす。

 

そしてマルコは30年経っても尚、とどめの刺し方を忘れてはいなかった。

「そうそう、ピエモンテはおまえが大好きな赤ワインの産地だ。バローロやバルバレスコの名産地だぞ。おれの別荘の周りはブドウ畑とカンティーナ(ワイン醸造所)だらけだからな。好きなだけ飲めるぞ~!!」

“わおおおおお~~~!!!!!”

こうして、いとも簡単に、再会の地は“紺碧のギリシャ”からイタリアの“美味しいピエモンテ”へと変更になった。

私の旅程は2週間。マルコはここしばらくはピエモンテの貸別荘住まいとのことだが、ミハイルは仕事の都合でどうしても1週間しかイタリアに滞在できないという。そこで、前半1週間をマルコの別荘で彼らと過ごし、後半1週間は1人旅を満喫すると決めた。

え?それでいいの?それいいのだ。30年ぶりに会う親友とはいえ、朝から晩まで2週間、言葉も満足に通じないおじさん2人と一緒にいるのはきついな~と、おばさんは思っていたからである。

むこうだってきっとそうだ。赤ワイン片手にニヤニヤしているおばさんを2週間も見続けるのは拷問に近い(笑)

 

さて、そうと決まったら、まずやらねばならないことは・・・・そう。9月までの約半年間で、すっからかんに忘れてしまったイタリア語を勉強しなおさねばならない。早速本棚の奥の奥から埃だらけのイタリア語文法本を引っ張り出し、ページをめくってみた。

“わ~~こんなことも!あんなことも!すっかり忘れてしまっている~!これはマズい!”

と焦ったのも束の間。そうこうしているうちに仕事が忙しくなってきた。2月4日を皮切りに、連続6件の期間限定ショップがスタートしたのである。大きなぬいぐるみを抱えてあっちだこっちだと駆けずり回っているうちに、イタリア語はおろか、マルコとミハイルのことは、脳みその片隅に体良く追いやられてしまった。

ようやく普通の人間に戻ったのは、桜が散り終わって久しい、ゴールデンウィークの頃であった。

 

“わ~!もう4カ月しかない!これはやばい!イタリア語~!!”

取り合えず必須単語を書きまくった紙切れをトイレの壁にベタベタと貼りまくってみたものの、暑い暑いと嘆いていたら、あっという間にお盆は過ぎ去って行った。

 

そして・・・9月2日。私は成田空港第2ターミナルにいた。

 

“本当に行くんだよな~”この場に至ってもまだそんなことを思っている。

バンバンにお土産が詰まったスーツケースをチェックインカウンターに預けた後、出発前の腹ごしらえにと、めったに頼むことのないカツ丼をほおばる。予想以上のボリュームだ。

いったん箸を置いてしまうと食べ切れそうにないので、モリモリモリモリ食べまくる。

“なんで私はここで、このタイミングで、こんな山盛りのカツ丼食べてんだろう?” そう思ったらなんだか笑えてきた。

“ナニに勝ちたくてもりもりカツ丼食べとんねん?!” 一人突っ込む。更にニヤニヤが止まらない。どうやら正気ではないらしい。

 

心ここに無いまま保安検査、出国検査を通り抜け、とうとう飛行機に乗り込む。

離陸体制に入り、キャビンアテンダントの方々も着席し、シートベルトを締め始める。それにつられて私も緩いシートベルトを締め直す・・・と、いよいよ飛び立つという段になって、ようやく頭がクリアになったらしく、今に至るまでのいろんなことが頭を巡る。

コロナの真っただ中でやることも無く、なんとなく書き始めたイタリアブログ。遠い記憶を辿りながら書き進めるたびに、どんどんどんどんマルコやミハイルの存在がリアルになった。もう二度と彼らに会うことはないのだな・・・と、少し寂しく思いながら、それでも年末ジャンボレベルの奇跡を夢見ながら書き終えた長いブログ。それから2年後の2026年2月、その奇跡は起きた。そしてわずか半年後の今、私はあの2人に会うためにイタリア行きの飛行機に乗り、今まさに飛び立とうとしている。

・・・なんだ?この怒涛の展開は?

「笑える~~!」思わず漏れた小さな声が、飛行機の轟音にかき消された。

 

つづく・・・

 

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【続報その2 あの頃イタリアで】悩んだ挙句のその果てに・・・

 

【あの頃のイタリアブログ/その1から読む】

 

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