遅ればせながら、明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願い致します!
皆様、楽しい年末年始を過ごせましたか?私は久しぶりに故郷の雪国で兄弟姉妹たちと美味しいお酒を酌み交わすことができました。そして東京に戻ってみればまた雪国・・・。窓の外にはまだ溶け切れない雪の塊があちらこちらに残っています。
さて、”あの頃のイタリア”は久しぶりに学校に舞台を移し、ベッドデザインコンペのお話。
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1995年の年明けから、課外授業で取り組んでいた校内ベッドデザインコンペ。2月に入りその作品提出期限が近づいていたにも関わらず、私は学校の試験や提出物にも追い込まれ四面楚歌になりながら、なすすべもなく四角形の中心でクルクルと回っていた。相変わらず模型の屑にまみれたまま。(その37参照)
2月6日午後5:00までにベッドの図面と模型にデザインコンセプトを添えて提出しなければならないにも関わらず、その当日の朝、肝心の模型は未完のままだ。“どうしよう・・間に合わないかも”と思い始めたのは午後になってから。そして・・・やはり間に合わなかった。
午後5:00を少し過ぎた頃、私は意を決した。(というか諦めた)図面だけを丸めてケースに入れて提出場所に指定されている校舎2階の教室に行き、おもむろにドアを開けた。中にいた大人5、6人が一斉に私を見る。・・・え?!びっくり!ただの提出会場と思いきや、作品を前に既に審査会議の真っただ中といった様子である。
「あ、え~、ノックもしないですみません!」と焦ってケースから図面を取り出して、差し出した。
「模型はどこですか?」課外授業を担当している現役インテリアデザイナーの先生が間髪入れずに訪ねる。
「え~と~間に合いませんでした!すみません!」一同静まり返って私を見ている。
「どのくらいできているの?」
「あ~~4/5くらい?かな?」
「では、途中でもいいから持って来てください。」
「え!家に置いて来たので、持って帰って来るまで1時間位かかるのですが・・・」
「・・・分かりました。待っています。」
え~~!!うそでしょ?取りに行くの~?!私は必死に家に戻り、中途半端な模型を抱えて息も絶え絶えに学校に戻った。そして審査員らしき大人たちは約束通り一時間前の状態のままで私を待っていた。
「ホントにホントにお待たせしてすみませんでした!」私は平謝りしながら後ずさりするように教室を後にした。
そして翌朝、学校の門をくぐると何やら校内がざわついている。何かと思って人だかりのある方向に目をやると、どうやらみんな校内掲示板の張り紙を指差して騒いでいるらしい。
“??なんの張り紙??”掲示板を見に行こうとした私に対して、逆方向から物凄い笑顔でやって来た箱入りマルコとお調子者ミハイルが目の前に立ちはだかる。そしてこう言った。
「エリコ~!おめでと~!お前が優勝だよ!」・・・一体何のことやら。
「お前がベッドデザインコンペで優勝したんだよ!」・・・へ?
アホのような顔のまま二人に引きずられるようにして掲示板の前に行く。
「・・・ほ、ほ、本当だ~~!」なんと、私は本当に優勝してしまっていた!
きっと前もって審査や結果発表のスケジュールが先生から伝えられていたのだが、私には伝わっていなかった。言葉が分からないのにうんうんと分かっている風を装っているので誰も教えてくれないという状況。ましてや優勝するなんて思いもしなかった私は、優勝したらどんなご褒美があるのかも知らない。
まさか、あのミラノサローネ(ミラノで開催される世界最大規模の家具見本市)に私のデザインしたベッドが出展されることになろうとは!・・・この時の私は知る由もない。
つづく・・・。
※この思い出話の舞台は1994年-1996年のイタリアです。スマホはおろか携帯電話やデジカメ、パソコンすら一般家庭に無い時代であり、主な通信手段は国際電話かFAXでした。