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【あの頃イタリアで その73 歩いて行くのだポルトフィーノ!〜リグーリアの旅・完結編】

投稿者 :佐々木英理子 on

こんにちは。気持ちの良い青空が広がっている本日の東京。私は来週から始まる期間限定ショップの準備の遅れにソワソワしつつ、またしても現実逃避をしてこのブログを書いているところです。

さて、今日はリグーリアの旅完結編!珍しくカメラを携帯していたので実際撮った写真を掲載していますよ!

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いよいよ今日はポルトフィーノ散策の日。天気は快晴。絶好のお散歩日和である。

マルコお墨付きのバールで、カスタードクリーム入りコルネット(クロワッサン)をたらふく食べた私たち4人は、いったんマルコのマンションに戻って身支度をしてから出発した。

サンタマルゲリータからポルトフィーノまでは約5キロの道のり。交通手段としては通常、船やバスが利用されるのだが、「歩いて行った方が絶対楽しいから!」とマルコが言うので、全員素直に従うことにする。

 ↓ 写真が古過ぎて曇りに見えますが、快晴です。

マルコお薦めの徒歩コースは海沿いの山道をくねくねと上ったり下りたり、寄り道も含め、片道約1時間半のコースである。3月なのに暖かい日差しが降り注ぐ小道を進んで行くと、左手の生い茂る木々の合間から、ちらほらと海の青が見え隠れする。山道ではあるが時折開けた場所があり、そこからはリヴィエラ海岸が一望できた。

しばしその絶景を眺めながら一息つき、また少し山道を歩いて行くと、今度は右手の丘の上に美しい邸宅が見える。大富豪の別荘なのか、その優雅な佇まいはさながら小さなお城のようだ。この付近にはそんな大邸宅がポツリポツリと点在している。

 ↓ 歩き過ぎて不機嫌なミハイルと自転車少年オスカルの後ろ姿

道すがら目に飛び込んで来る全ての景色にひたすら感動しながら歩くこと約1時間。私の後ろで、軟弱物ミハイルが音を上げた。(例のサッカー仮病疑惑の一件から、軟弱物のレッテルは貼られっぱなしなのだ。笑)

「なあなあ、まだ歩くの?あとどんくらい?」

「もうすぐだよ!」とマルコ。しかし、こんな時はたいてい“もうすぐ”には着かない。そこから歩くこと更に30分。ようやくポルトフィーノの美しい入り江が見えてきた。

「うわ~!!」その美しさに言葉を失う。今まで訪れたどの場所とも違う青の景色。パレルモの海とは違うし、ベネチアでもコモ湖の畔でもない。世界のVIPがこぞってここに別荘を持つ理由が分かる。

 ↓ 琥珀色のポルトフィーノ(笑)この建物群の後方の高台を右側から歩いて来たのです。

「腹減った~!なんか食おうぜ!」またもや軟弱物ミハイルが感動に浸る私の邪魔をする。

・・と言いたいところだが、右に同じ、私も腹ペコであった。

ひとまず海辺のバールで空腹を満たすことにした。飲食店が並ぶ入り江沿いの小道は、観光シーズンには絶望的な人混みになるのだろうな・・と想像してしまうほど狭い。その狭い小道の海側にパラソルを立てた小さなテーブルが並んでいる。その一つを陣取った。

「さ~て何食べようかな~」とメニューを覗き込んでいたときである。いち早くメニューを確認していたマルコがこう告げた。

「みんな、ちょっと待って!ここは1人1皿にしよう!」いきなり“待て!”と言われたワンコの如く、メニューを握ったままキョトンと固まるその他3人。

「え~!パスタだけだと足りなくない?」既に大食い人間と化した私の言葉に、その他2人が頷く。」

「いいから見ろよ!この値段。」

「!!!」一同愕然。さすが超一流リゾート地。一般庶民のリゾート地、サンタマルゲリータのほぼ2倍の価格設定である。

“マルコパパ”の気転の素早さに唸りながらも一気に意気消沈した私たちは、いつもより時間をかけて1皿のパスタを味わった。

↓オスカルが撮ってくれた写真。右からマルコ、ミハイル、私。自分たちはイケてると思っている三人(笑)

サンタマルゲリータまでの帰り道は、ごねるミハイルをなだめつつ、再び来た道を歩いた。ポルトフィーノは芸術的に美しかったが、サンタマルゲリータの海辺の方が庶民的でホッとする。

私たちはひとけのない海水浴場の砂浜に、洋服に付く砂も気にせず寝転がっていた。4匹のでっかいマグロみたいに(笑)。しばしそうしてリグーリアの空気を満喫した後、終わりゆく楽しい日々を心底惜しみつつ、マルコの愛車でサンタマルゲリータを後にしたのである。

↓“マルコ、オスカル、ミハイル、エリコ参上”と書いてあります。

夢のような1泊2日の小旅行が終わってしまった・・・。明後日からまた、卒業設計の課題に追われる日々が始まる。帰りの車の中、妙に静かだったのは、みんなが少しずづ現実に引き戻されていたせいかも知れない。

 つづく・・・。

 

※この思い出話の舞台は1994年-1996年のイタリアです。スマホはおろか携帯電話やデジカメ、パソコンすら一般家庭に無い時代であり、主な通信手段は国際電話かFAXでした。

 

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