こんにちは。とうとうやって来ましたね。春!やっぱり春はいい!日は長くなるし!暖かいし!花は咲くし!花粉は舞うし!・・・あ・・花粉さえなければ最高なんですけどね。笑
さて今日は、あの頃のこんな季節に出会った心温まるお話です・・・
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午後の教室は春先の柔らかい光と食後の気だるさで満たされていた。卒業設計のグループ作業の前日は、割り振られた課題を完了するため、徹夜作業になることが多い。私はその日も明け方に仮眠をとっただけだったので、ついさっきマルコと食べたピアディーナが胃の中で膨れて来るにつれ、耐えきれない眠気に襲われていた。
曖昧な意識の遠くの方で、シチリア出身豪快女子、ダニエラの声が聞こえる。
「エリコ~!エリコ~!もしもし~!もしも~し!」ハッと我に返り、寄り目になっていた目の焦点を整える。
「まったく!あんたはホントによく居眠りするわよね!」ダニエラの呆れ顔が目の前にあった。その横には同じく呆れ顔のマルコと苦笑いの吉本くん。
おっしゃる通り、私はホントによく居眠りをしてしまう。電車やバスの移動中はもちろん、授業中もお構いなし。が、しかし、日本では当たり前のようにしていた居眠りも、ヨーロッパの人から見ると不思議でならないらしい。
ミラノ留学の2年半の間、私は彼らが居眠りをしているのを見たことがない。これは体質の違いか、はたまた日々のモチベーションの違いなのか、とにかくイタリア人もドイツ人もイギリス人もギリシャ人も、みんなみんな居眠りなんかしないのである。
帰国後に見たあるテレビ番組で、イタリア人タレントがこんなことを話していた。“日本に来たばかりの頃は電車の中で居眠りをする日本人が不思議でならなかったが、一年もすると自分も居眠りするようになってしまった”と。これはもう平和な国の平和ボケ現象に違いない。
緩んだ空気を一括するように、ダニエラが突如こんなことを言った。
「あのさ、今日の作業が終わったら、みんなで私のおうちに来ない?世界で一番美味しいカルボナーラを食べさせてあげるから!」唐突に発せられたこの一声で、私は完全に覚醒した。
「え~!行く行く!絶対行く!」もちろんマルコも吉本くんも、断る理由などない。
こうなると居眠りしているヒマなど無い。まさに目の前にニンジンをぶら下げられた駄馬の如く、私たちはかつてないほど猛スピードでその日の作業を終え、ダニエラ宅に向かった。
ダニエラが住むアパートメントはゆったりめのの2LDK。というのも、同郷の彼氏と一緒に住んでいるからなのだ。初めて会う彼氏のピエトロはとにかくデカかった。ダニエラも縦横にかなりの大柄だが、ピエトロは更にその二回りほどビッグサイズである。
「よく来たね!さ~て、早速カルボナーラ作ってあげるからちょっと待っててね!」と言うのはピエトロ。
「え?!ダニエラが作るんじゃないの?!」
「ふふふ。彼が作るカルボナーラは絶品なの!実はね・・・」
ピエトロがキッチンに入ったのを見届けた後、ダニエラは語りだした。そこには深い深~い愛情秘話があったのである。
3年前にシチリアのパレルモから一人でミラノへやって来たダニエラは、突然の環境の変化からか、拒食症になってしまった。前にも書いたが(その21参照)、その当時は“シチリアはイタリアではない”的な差別が残っていた時代である。当初はシチリア訛りが抜けていなかっただろうから、さぞかし辛い目にあったに違いないと想像できた。
シチリアの太陽のように明るかった彼女が、遠い北イタリアの地で日に日に憔悴し、やせ細って行ってしまう・・・。それを見兼ねたピエトロは意を決してパレルモを飛び出し、彼女の住むミラノへやって来た。そして、小枝のようになってしまったダニエラの健康を取り戻すために、来る日も来る日も彼女の大好物であるカルボナーラを作り続けたのである。
「さ~!できたよ!」話がひと段落したところで、山のようにカルボナーラが盛られた大皿を手に、満面の笑みをたたえたピエトロがやって来た。その姿になんだか泣きそうになる。
そのカルボナーラは信じられないほど美味しかった!前説の愛情スパイスがより一層おいしくさせたに違いないが、私は未だにあの味を超えるカルボナーラに出会ったことがない。
モリモリ食べる私たちを、嬉しそうに見つめる二人。苦しかった過去があるからこそ、この二人はこんなにも穏やかに愛し合っているのだな・・と思うとまたまた涙が滲みそうになる。
今では心身ともにすっかり健康になったダニエラ・・・そして私は密かに思うのである。
“カルボナーラって・・やっぱり太るんだな” と。笑
つづく・・・。
※この思い出話の舞台は1994年-1996年のイタリアです。スマホはおろか携帯電話やデジカメ、パソコンすら一般家庭に無い時代であり、主な通信手段は国際電話かFAXでした。