【あの頃イタリアで その76 おいしいアルバイトのその先は】

【あの頃イタリアで その76 おいしいアルバイトのその先は】

皆さんこんにちは。すっかりご無沙汰してしまいました。今年はお花見を満喫できましたか?私は通勤電車の窓から眺めるだけだったので、POPUPショップが終了した今、どうにか桜前線を追いかけて北上しようと目論んでいるところです。

 さて、今日は思いがけず転がり込んだ ”おいしい?アルバイト”のお話。

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1996年の4月は、とにかく忙しかった。卒業設計に追われながらも、相変わらず貧困状態にあったので設計事務所でのアルバイトを辞めるわけにはいかず、この頃は若さに任せてよく徹夜をしていた。(今は徹夜どころか、11時前に寝てしまうけど。笑)

同じ頃、同居人の良美さんも仕事の締め切りに追われていた。

「ねえねえ!スティックのり持ってない?」私の部屋を覗き込む良美さん。

「そこの引き出しに入ってるよ~」

「ちょっとちょっと!ハサミある?」締め切りに追われ、駆けずり回る良美さん。

「え?さっき使ってたじゃん!」深夜3時の会話である。

(※まだパソコンが流通していないため、デザインのお仕事に従事する方々はもっぱら切り貼り作業に勤しんでいた。)

この頃はよく2人で眠い目を擦りながら、ビルの向こうから昇る朝日を拝んだものだ。その後、束の間の仮眠をとり、それぞれ職場へ学校へと出掛けるのである。

そんな慌ただしい毎日にも関わらず、4月のミラノには欠かせない一大行事がある。インテリアの国際展示会“ミラノサローネ”だ。そう、昨年私が奇跡的にベッドを出展することになった展示会である。(その40参照)

インテリア関連の仕事をしているミラノ在住の方々は、このミラノサローネの前後一週間、日本からやって来る同業者や知合いの接待に大わらわで、仕事をしているヒマなんてない。我が同居人、インテリアデザイナーの良美さんも朝から夕方まで通訳兼ガイドとしてサローネ見学に同行し、夜は食事に同行と大忙しになる。

そんなサローネの数日前、同じデザイン学校でグラフィックデザインを専攻している日本人の由紀ちゃんが、私にこんな話を持ち掛けてきた。

「ねえねえ!“おいしい”バイトの話があるんだけど、興味ない?」

既に半笑いなところを見ると、かなり“おいしい”お仕事のようである。

「もちろん!興味あるある!」

「今度のミラノサローネに来る某大手化粧品会社のお偉い様ご一行がね、晩ご飯に同行してくれる通訳の女性を探してるんだってー。しかも2人!結構な時給が貰えるうえに、高級レストランのディナー付きだよ!一緒にやらない?」

ミラノに住んで約2年、一度たりとも高級レストランの敷居を跨いだことがない私にとって、またとないチャンスがやって来た!未だイタリア語がままならなかったので“通訳”という言葉にやや引っ掛かりはしたものの、由紀ちゃんはイタリア語ペラペラ女子である。その横で笑っていればなんとかなるに違いない!と自分に言い聞かせた。

アルバイト当日。私たちは待ち合わせ場所であるモンテナポレオーネ通りの高級レストランに向かった。お店の前にはどこからどう見ても日本人にしか見えない、スーツ姿の品のよさそうな中年男性が4人。私たちは簡単に自己紹介をしてレストランに入った。

彼らは第一印象通りとても紳士的な方々で、会話も知的でマナーも良い。通訳である私たちに自社製の香水までプレゼントしてくれる気の遣いようである。

当然ながらディナーは最高に美味しいし、これで高額時給までもらえるなんて!仕上げのデザートを頬張りながら、過去の辛かったアルバイトが走馬灯のように脳裏に蘇る。(その45参照)

満足げに口元をナプキンで拭っていたとき、ボスと思しきご年配の男性がこんなことを切り出した。

「実は、このあとカラオケを予約しているんですけど、よろしかったらご一緒しませんか?」

へ?イタリアまで来てカラオケ??と思いつつも、断る理由がなかった私たちはそのまま同行することに・・・。

それから一時間後・・・目の前には信じがたい光景が繰り広げられていた。頭にネクタイこそ巻いていないものの、顔を真っ赤にしてマンガのように酔っぱらったおじさんたちが、マイク争奪戦を繰り広げている!割れんばかりの音響で“マイ・ウェイ”を熱唱したと思えば、謎の腰振りダンスをしながら“ビート・イット”を絶叫するこの人たちは・・・だ、だ、だれー?!さっき一緒に食事をしたジェントルマンたちは、一体どこへ消えてしまったのだー?!

呆気にとられながらも、引き攣りまくった作り笑顔で手拍子をする私たち。そして、感が鈍い私たちはようやく気付いた。「このアルバイト、通訳とは名ばかりの、同伴ホステスだったのね・・・」と。

しかし、時既に遅し、海外出張ストレス発散型ジャパニーズサラリーマンによる狂演は、深夜まで続いたのである。

教訓「おいしいアルバイトなんて、そうそうあるはずがない。」

 

つづく・・・。

※この思い出話の舞台は1994年-1996年のイタリアです。スマホはおろか携帯電話やデジカメ、パソコンすら一般家庭に無い時代であり、主な通信手段は国際電話かFAXでした。

 

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