【あの頃イタリアで その85 トスカーナ卒業旅行③ モンテプルチャーノ到着!】

【あの頃イタリアで その85 トスカーナ卒業旅行③ モンテプルチャーノ到着!】

こんにちは。今日の関東地方は朝から台風の影響を受けて雨が降り続いています。引き籠るには打って付けということで、めずらしく集中してブログを書いているところです。

さて、今日の”あの頃”はようやく第一目的地のモンテプルチャーノに到着しますよ!

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2日目の朝早く、テントを張った謎の空地を後にした私たち三人は、第一目的地であるモンテプルチャーノの手前の、名も知れぬ小さな村でようやく食事にありついた。バール(カフェバー的なお店)はここ一件しかないのではないかと思われるほど辺鄙な村の小さなバール。そこでピザかサンドウィッチでも食べたのだろうか?とにかく自転車を漕ぐので精一杯だったので、残念ながらこの旅での食事の記憶は全般的に薄い。

※ ↓ 見知らぬ村の見知らぬ犬 

さほど広くない店内に他の客の姿は無い。それをいいことに私たちは順番にトイレに入って顔を洗い体を拭き、新しいTシャツに着替え、なんとかギリギリ普通の人間に戻った。三人が三人とも荷物を持って長時間トイレに籠り、出て来たときには着衣が替わっているのだからバールの店主はさぞかし苦々しく思っていただろう。

“うちはシャワールームじゃね~ぞ!” と()

店を出た後、マルコとオスカルが近所の公園で昼寝をすると言うので、眠くない私は仕方なく何もない村をぶらぶらと散歩。二人が目覚めるのを待って村を出発した。モンテプルチャーノまでホントにあと少しだ!

※ ↓ 爆睡する大きな子供二人(笑)

されどなかなか辿り着けないモンテプルチャーノ。ついさっきタオルで拭き清めたばかりの体からボタボタと汗が滴り落ち、太ももの傷にヒリヒリと沁みる。え?この傷?

遡ること丸一日、旅のスタートを切って間もなくのこと、荷物を積んだ自転車の重さに慣れていなかった私はバランスを崩し、無様にも自転車もろとも転倒してしまったのだ。その際、自転車のブレーキハンドルが重力に任せて思い切り私の太ももの内側を擦った。その時の傷である。

長さ15㎝もの擦り傷を負ったが、今はその痛みも霞むほど坂道を上る方が辛い。“こりゃもうダメだ~!”と10回くらい天を見上げただろうか・・・。

またしてもボロ雑巾と化した私たちではあったが、それでもなんとか2時間後にはモンテプルッチャーノに到着することができた。

※ ↓ キアーナ渓谷を望むモンテプルチャーノからの眺め。随分高いとこまで上って来たな~!

※ ↓町の中心地、ピアッツァグランデにあるドゥオーモ前。こんなに体格差があるのにその他全て平等というミステリー。(しかも2人とも8歳年下)

モンテプルッチャーノはキアーナ渓谷の中にある城壁で囲まれた大きな町である。とは言っても周囲の町に比べて大きいと言うだけで、南北に1㎞、東西に300mほどの細長い町なので半日もあれば十分に楽しめる。おまけにこの辺りの夏の日の入りは遅いので午後8時を過ぎても外はまだ明るい。昼過ぎに到着した私たちも十分に散策を楽しむことができた。

※ ↓ 有名かも知れない(?)時計台

※ ↓ カンティーナ(ワインセラー)訪問。モンテプルチャーノといえば赤ワイン!

苦しくも楽しい一日であったが、日が傾いてくるとやはり気になることがある。そう、今日の宿泊地である。

「ところでさ~マルコ、今日はどこで寝るの?」無口なオスカルもジッとマルコを見つめている。

「へへへ、今日はもう決めてるんだ!ここから少し下ったところにあるアグリツーリズモを予約してあるんだ!」

「え?!うそ?!やった!アグリツーリズモー!行ってみたかった~!」

アグリツーリズモとは農家の方々が自宅で部屋や食事を提供してくれる民泊的な宿泊施設である。優しそうな家主夫婦と大きな食卓を囲みながら美味しい手料理を食べ、ふかふかのベットに沈み込む自分の姿が瞬時に脳裏をよぎる。

※ ↓ ハープの音色で疲れを癒す2人。撮影したのはマルコか?

ニコニコ顔の私とオスカルをよそにマルコは続ける。

「でさ、そこのシャワーだけ借りて、庭先にテントを張らせてもらうことにしたんだよ!」

「・・・!!!なに?!なんで??!」

「まだ二日目だし、予算がないから節約しとかないとね!ここで晩ご飯を済ませて、ついでにスーパーで水とか買ってから行こう!」

ガガガ~ン!(昭和的ダメージ音)それでもシャワーとトイレがあるだけありがたいと思うべきなのか・・・。オスカルがいつものシリアス顔に戻っている。

隊長兼財務担当(今回も事前集金システムである。その71参照)のマルコ隊長は相変わらず憎たらしいほどしっかり者なのであった。

 

つづく・・・

※この思い出話の舞台は1994年-1996年のイタリアです。スマホはおろか携帯電話やデジカメ、パソコンすら一般家庭に無い時代であり、主な通信手段は国際電話かFAXでした。

 

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