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【あの頃イタリアで その62 いろいろな意味でのカウントダウン】

投稿者 :佐々木英理子 on

こんにちは。楽しみにしていた夏休みが終わってしまいました・・。がっくり肩を落としつつ・・・まだまだ仕事モードに戻れない私です。

さて、今日のあの頃は1995年の大晦日から始まります。

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良美さんが無事にスウェーデンから帰国し、私が猫たちとの初めてのお留守番任務を終えた頃、ミラノは新年へのカウントダウンムード一色に包まれていた。去年は日本へ帰国したので、今回がミラノで迎える初めての新年である。

良美さんと二人きり(と二匹)で過ごす大晦日ではあるが、その日は朝から大忙しであった。まずは食材の買い出しをしに二人で近所のマーケットに向かう。

売場は新年を祝おうとする人たちで大賑わいだ。私たちも負けじとこの日ばかりは食べたいものをバンバン買い込む。普段はお腹を空かしている我が家の冷蔵庫もきっと満腹になるに違いない。

買い出しから戻るとすぐにそれぞれの持ち場に着いた。料理が苦手な(と言うよりできない)私は掃除担当。掃除が苦手な良美さんは料理担当と、話し合うまでも無くあうんの呼吸で役割分担ができている。

“さ~て、夕方までに家じゅうをピカピカにするぞ~!“目標はもちろん、美味しいワインと良美さんが作ってくれるご馳走!良美さんも火が付いたように無言でキッチンの前に立ちっ放しである。

そして夕方・・・。テーブルの上には二人分とは思えない料理の数々が並んだ。よくもまあ一人でこんなに拵えたものだ。やっと訪れた至福の時に、私たちはたらふく食べてたらふく飲んだ。・・・と、“パン!パン!パン!パン!!”突如窓の外で爆竹の音が響く。どうやらお隣にあるトラムの車庫の従業員たちがカウントダウンを待ち切れず、大はしゃぎしているようだ。

それから間もなく、今度は大きな花火の音がする。急いでテラスに出るもあちらこちらで花火が上がるので、ワイングラスを片手にその場で180度くるくると回りながら眺める。私たち人間は大興奮なのだが、あまりの騒々しさにサンボとマルはどこかに隠れてしまった。

 

楽しかった大晦日が去り、年が明けると、世界中に帰国していたクラスメートたちが一斉にミラノに戻り、デザイン学校の授業がにわかに忙しくなり出した。全く授業が無いかと思えば突如時間割を詰め込みだすのは毎度のことで、もう少し授業を分散できないものかと思うのだが、大人の事情があるらしくそうは行かないらしい。

今年は普段の授業に加え、来るべき6月の卒業を前に、大トリである卒業課題に取り組まなければならないのだから大変である。

更に私の場合、もう一つやらねばならないことがある。怪しいアルバイト(その45参照)で稼いだ生活費はとうに底を突いていたため、新たなアルバイト先を探さねばならないのだ。

“あのアルバイト、怪しかったけど結構稼げたよね~“と今となっては懐かしくすら思うも、

”いやいやあそこに戻ってはいけない!“・・と小さな神様が耳元で囁く。

“でも・・・他に当てもないし・・・”と思っていた1月半ばの昼下がり、突如、良美さんが鶴の一声を発した。

「ねえねえ、私のイタリア人の友人がご主人と二人で設計事務所をしているんだけど、人出が足りないんだって~。あなた働いてみない?」

「えーーー?!働く働く!絶対働く!!」

「・・・ま~とは言っても、向こうにも選ぶ権利があるだろうから、今度面接に行ってみれば?話しといてあげるわよ。」・・・どこかで聞いたことがあるセリフだが(その9参照)、そんなことどうだっていい。“絶対にそこで働くのだ!”と勝手に一人決意表明をした。

そしてそれから一週間後、私はミラノの運河沿いにある設計事務所でアルバイトをすることになるのである。

はたして・・・今度はまともなアルバイトなのか?この続きはまた次回のお楽しみ!

 

つづく・・・。

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