こんにちは。関東に梅雨明けの気配がして来た今日この頃、皆さんいかがお過ごしですか?私は名古屋で開催する初めての期間限定ショップの準備に追われております。一週間以上も東京を離れるとなると、普段、忘れ物多めの私は気が気ではありません。「明日持って行けばいっか~!」とはいきませんからね~。
さて、今日は卒業式目前に渡された一通の手紙のお話・・・
--------------------------------------
卒業設計の結果発表の翌日、私たちは約半年間続いた苦行(?)の打上げと称し、料理上手なシェフ(その75参照)がいるダニエラの家で、しこたま食べてしこたま飲んでお互いの健闘を称え合った。この楽しい時が永遠に続いて欲しいと、そこにいるみんなが願っていたと思う。その日はうっすらと空が明るくなるまで誰一人帰ろうとしなかった。
案の定、翌日はお昼過ぎまで記憶を失っていて、できることなら一日中そのままベッドの中で過ごしていたかったが、そうもしていられない訳があった。来週の卒業式までに帰国の荷物をあらかたまとめておかなければならないし、その5日後にスタートするビッグイベント、スタンドバイミー的卒業旅行の準備を整えなければならない。天井を見上げているうちにいろいろなタスクが耳の穴から溢れ出し、とうとう観念して私はもそもそとベッドから這い出した。
卒業式までの一週間はあっと言う間に過ぎていった。クラスメートと別れを惜しみつつ遊園地にも行ったし、食事にも出掛けた。
そして同居人の良美さんに気遣って今までできなかった最初で最後の我が家でのフェスタを開催。クラスメートやミラノで出会った友人、良美さんのお友達を招待しての日本食パーティーは、狭いアパートメントに総勢50人ほど集めて、これまた明け方まで盛り上がった。(一番盛り上がっていたのは多分私 笑)
卒業式を数日後に控えたある日のこと、私はグラフィックデザインを専攻している日本人の由紀ちゃん(その76参照)に呼び出され、唐突に一通の手紙を手渡された。手紙と言っても、A4の紙を4つ折りにしただけのものである。
「なにこれ?」
「ミハイルがエリコに渡してくれって。ミハイルに頼まれて、私が日本語訳したの。」
由紀ちゃんは外国語大卒なので英語もイタリア語も達者だ。ちょっとややこしいが、そんな彼女にギリシャ人のミハイルが私への手紙の翻訳を英語で依頼したのだ。ミハイルはイタリア語より英語の方が得意だからだ。
“えりこへ。
ギリシャ語→イタリア語→日本語で誤解が起きないようにこの手紙を書きます。卒業旅行の一件で僕らの友情にひびが入らないといいのだけれど・・・”
こんな書き出しで始まった手紙には、奨学金でロンドンに行くことになった経緯。それが自分にとってとても大切なことであること。そしてどうしてこの大切さを分かってもらえないのかということ。だけど心の底から卒業旅行に行きたかったこと。もう一度日程を変更して欲しかったのに叶わなかったこと。本当の親友は私とマルコだけだということ。自分が決めたことは正しいと思っているが、親友二人を傷つけたことがとても悲しいということ。・・・そんなことが由紀ちゃんの字でA4用紙にびっしりと書かれていた。
今、読み返しても切なくなるこの手紙・・・。なぜあの時、ミハイルが参加できるようにもう一度旅行の日程を変更できなかったのだろうか?一緒に行けるならたった3日間だけでも良かったはずなのに、なぜそうしなかったのだろうか?27年後の今、この手紙を読み返してみてそう思う・・・が、あの頃・・・ポンコツ頭の私とマルコにはそれができなかった。
マルコが時間をかけて計画してくれた10日間の旅行計画を何としてでも実現したいという頑なな思いと、それがどうしてもできないというミハイル。その訳を説明するも、ギリシャ人であるミハイルのイタリア語録の乏しさ、そしてそれすら上手く聞き取れないダメな日本人とダイレクトに受け止め過ぎてしまう石頭のイタリア人。あの頃はお互い感情的になっていたし、とにかくどうにもならなかった。
小さな言葉のニュアンスの行き違いが積み重なり、双方の主張は異次元的に噛み合わなくなってしまっていたのである。初めは重なり合っていたからこそ、一旦ズレてしまった2本の直線の行く先は最後まで交わることはなかった。
結局、この時の私は手紙の内容に納得できず、分かろうとして読み込もうともせず、一度読んだ切り引き出しに仕舞い込み返事も書かなかった。今で言う“既読スルー”である。なぜ少しでもミハイルの思いに耳を貸そうとしなかったのか・・・あの頃の自分を目の前に座らせて説教してやりたいくらいだ。
そしてこの数日後、とうとう私たちは卒業式を迎えることになるのである。
つづく・・・