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【あの頃イタリアで 】あとがきー登場人物とのその後ー

投稿者 :佐々木英理子 on

 20213月から全93回続いたイタリア留学思い出ブログも、前回でとうとう最終回を迎えることができました。これまでお読みいただいた皆様には感謝しかありません。

「忘れてしまわないうちに、大切な思い出を書き残しておかねば!」

と、自己欲求を満たすためにスタートしたブログでしたが、気付けば徐々に読んでくださる方が増え、それが励みになり、こんなに(どんなに?)飽きっぽい私が最後まで書き終えることができました。

長い間行き場をなくして脳みその引き出しの奥に折れ曲がり、ひん曲がりながらギュウギュウに詰まっていたあの頃の記憶の全てが時系列にファイリングされ、ピカピカの本棚に整理整頓されたような清々しい感覚です。

最初の頃書いたブログを恐る恐る見直すと、写真も少ないし文章も読みにくいし、一から書き直したくなりますが、今は見ぬふりをしておこうと思います。(いつかこっそり書き直しているかも 笑)

改めまして、長い間読んでくださった皆様、本当にありがとうございました!

ありがとうと書いたサイコロ

あんな青春時代を過ごした私も、還暦の足音が聞こえて来るお年頃となりました。もちろんあの頃の登場人物たちもそれなりに歳を重ねています。

留学したばかりの頃、日本から送金したお金が振り込まれずに困っていた私を助けてくれた井川礼子さん(仮名)(その8参照)は、約10年前にご主人と共に日本に帰国し、幸せに暮らしています。

同居人の良美さん(仮名)はあの頃住んでいたアパートメントから引っ越しをしたものの相変わらずミラノに住んでいて、年に一度日本に帰国する時は二人でお酒を飲んだり、礼子さんと3人でご飯を食べに行ったりして、当時のおバカな出来事を思い出しながら笑っています。

 

自宅前に居るヌッチョの画像

※↑ 自宅の前のヌッチョ

シチリアのウスティカ島に住んでいた親友でもあるおじいちゃん、ヌッチョ(その26参照)はブログでも書きましたが、20193月、88歳で天国へと旅立ちました。20146月に友人たちと旅行で訪れたのがヌッチョに会った最後でした。

いろいろあって卒業旅行に参加できなかったお調子者ギリシャ人のミハイル(の79参照)は、私が日本に帰国した後、約束通りロンドンから手紙を書いてくれました。

何度目かのやり取りで、封筒の中に大事に梱包された小さな塊が入っていて、恐る恐る開けて見たところ、なんとそれは粉々になったリアルなウ〇コの模型でした() "わざわざ国際便でこんなもの送って来るか?!" と思いましたが、ニヤニヤしながらウ〇コを包んでいるミハイルを想像すると、私もニヤニヤせずにはいられませんでした(笑)

うんこ型のネオンの画像

 

一緒に自転車でトスカーナを旅した色白自転車少年オスカルは手紙を書くようなタイプではなかったので、マルコが代わりに近況を教えてくれました。私が帰国した後もマルコと自転車でツーリングを楽しんでいるようでした。

マルコは学校を卒業して間もなく愛するエマと結婚し、男の子を授かりました。私は日本から車のおもちゃとベビーウエアを送り、その後もしばらく手紙で近況を報告し合っていましたが、大黒柱のマルコは設計事務所での仕事が忙し過ぎてなかなか手紙が書けず、後半はエマとのやり取りが多かった気がします。

赤ちゃんの足の画像

留学して初めて友だちになった韓国人のヒョンギョン(その11参照)は在学中にイタリア人の彼氏ができ、卒業後も同棲をしてミラノに住んでいました。

一緒にバースデーパーティーをしてくれたアンニュイミラネーゼのミレーナ(その56参照)は、多くの有名建築家を輩出しているミラノ工科大学に入学しました。

卒論で同じチームだった豪快シチリア女子のダニエラは、なんと、あんなに仲睦まじかったピエトロと別れ、シチリアのパレルモへ帰ってしまいました。(その75参照)

その他のクラスメートとも手紙やクリスマスカードのやり取りをしていたのですが、それぞれが就職や結婚という人生の一大イベントを迎える年ごろに差し掛かり、そのうち徐々にやり取りが少なくなっていったのです。

ハートの風船が空に飛んでいく画像

帰国して3年後には私も現在の夫と結婚をして引っ越しをし、その新住所をみんなに連絡しないまま毎日の生活に追われ・・・時は流れ・・・ふと振り返ったときには誰の連絡先も分からなくなっていました。どうして実家の連絡先を聞いておかなかったのか・・・悔やまれます。

1998年当時、ようやく一般家庭に普及しだしたパソコンにもマルコを始め、数人のメールアドレスが入っていたのですが、OSを入れ替えた際にそれも見事に無くしてしまいました()

 

1つの風船が飛んでいる画像

その後また、それぞれの時は流れに流れ・・・

コロナウィルスでイタリアが甚大な被害を被った時には、悲惨な状況がテレビで流れる度に

“みんなは元気に生きているのだろうか?お願いだから元気でいてくれ!”と祈らずにはいられませんでした。

東日本大震災の時は、きっと向こうもそう思っていたでしょうね・・・

実はこのブログを書きながらいつも思っているのです。偶然私を見つけてくれないかなーと。全く都合の良い話ですが、日本語が読めなくても写真に気付いてくれないかなーと。

「こら~!勝手に写真載せやがって!」って、突然マルコからメール来ないかなーって(笑)

長い人生、まだまだこの先何が起こるかわかりません!いつか彼らと連絡が取れることがあったら、真っ先に皆さんにご報告しますね!

 

イタリア留学思い出ブログ、“ あの頃イタリアで ” これにて本当に完結します!

長い間お読みいただき、ありがとうございました!

 

※↓ ポルトフィーノにて(左からオスカル、ミハイル、私、マルコ)

マルコ、オスカル、ミハイル、私の記念写真

Ciao,ragazzi! Sono Eriko! Marco! Oscar! Michaile! Dove siete?

(お~いみんな!私はエリコだよ~!マルコ~!オスカル~!ミハイル~!どこにいるんだよ~!)

 

※掲載している写真はイメージです。

 

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