イタリア留学思い出ブログ【あの頃イタリアで】
投稿者 :佐々木英理子 on
で、イタリアの海と言えば?”グラン・ブルー(1988年公開)”である。グラン・ブルーと言えばシチリア島だ。決まり!シチリア島に行こう!・・と安易に決定。思い立ったら止まらない。早速翌日、アウトドア用品店でバックパッカー用のどデカいリュックを購入。これだけ大きければ、もしもの時のために日本から持参したダイビング用のマスクとフィンも余裕で入れられる。
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投稿者 :佐々木英理子 on
その最終テストから遡ること3週間前、もう一人の語学教師アンナが所有するマッジョーレ湖の別荘にクラス全員で1泊旅行をすることになった。移動には4台の車が必要だったのでデザインスクールの脇毛美女ラウラや他の先生も運転手として駆り出された。
ミラノから車で約2時間のドライブ。ドアを開けて降り立った別荘の庭からは日差しを受けてキラキラ輝くマッジョーレ湖が一望でき、背面の山から別荘の庭まで続く緩い斜面には立派な実を付けたイチジクの木が涼しげに生い茂っている。
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投稿者 :佐々木英理子 on
1994年の夏も終盤、私は9月末に行われるイタリア語講座最終試験に向けて猛勉強をしていた・・と、言いたいところだがやはり相変わらず遊び回っていた。その頃になると行動範囲も広くなり、ブレラ美術館や映画館、ナビリオ沿いのマーケット、ミラノ郊外のイケアにまで繰り出した。イタリアに来て初めて美容室に行ったのもこの頃である。
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投稿者 :佐々木英理子 on
先日、田舎で暮らす母とLINE電話をしながら、なんて便利な世の中になったんだろうと、昭和人間的なことを思っていました。あの頃はこんな便利な物無かったよな~。あの頃あったらどんなことになっていたんだろ~?って。今日はちょっと脱線をして、母とのちょっと変わった国際電話のお話。
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投稿者 :佐々木英理子 on
さて、ここはミラノ・・・8月も終わりに近づき、イタリア語講座後半戦が始まって一週間が経った頃。友人のヒョンギョンが猛勉強していると聞いて、流石に焦っているかと思いきや、当の私は開き直ったかのように遊び回っていた。どうも私には“悔しい!負けてなんかいられない!今に見てろよ!”的な感情が欠落している。例え一瞬思ったとしても、一晩寝るとすっかり忘れてしまうのである。
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