イタリア留学思い出ブログ【あの頃イタリアで】

【あの頃イタリアで その7 ドラム式洗濯機の洗礼】

【あの頃イタリアで その7 ドラム式洗濯機の洗礼】

さて、時は1994年の7月。突如、不愛想なイスラエル人カップルと同居することになった私。こうなったらもう仕方がない、一緒に住むからには何とか仲良くなるしかないのだと覚悟を決め、引っ越し翌日の朝からできるだけ自分の部屋を出て、共有スペースであるリビングに顔を出すように心掛けてみた。しかし、彼らは全く部屋の外に出てこないどころか物音一つ立てない

【あの頃イタリアで その7 ドラム式洗濯機の洗礼】

さて、時は1994年の7月。突如、不愛想なイスラエル人カップルと同居することになった私。こうなったらもう仕方がない、一緒に住むからには何とか仲良くなるしかないのだと覚悟を決め、引っ越し翌日の朝からできるだけ自分の部屋を出て、共有スペースであるリビングに顔を出すように心掛けてみた。しかし、彼らは全く部屋の外に出てこないどころか物音一つ立てない

【あの頃イタリアで その6 初めてのシェアアパート】

【あの頃イタリアで その6 初めてのシェアアパート】

脇毛美人ラウラとの面談の翌日、彼女に渡されたメモを頼りに学生向けのシェアアパートを紹介してくれるというおじさんの元を訪れた。ホテルの滞在予約は7日間、8日目には外国人生徒が参加必須となっている本コース開講前の語学講座が始まるため、とにかくこの間に住処を見つけて引っ越しを済まさなければならない。

【あの頃イタリアで その6 初めてのシェアアパート】

脇毛美人ラウラとの面談の翌日、彼女に渡されたメモを頼りに学生向けのシェアアパートを紹介してくれるというおじさんの元を訪れた。ホテルの滞在予約は7日間、8日目には外国人生徒が参加必須となっている本コース開講前の語学講座が始まるため、とにかくこの間に住処を見つけて引っ越しを済まさなければならない。

スフォルツェスコ城

【あの頃イタリアで その5 初登校での衝撃の出会い】

その日の早朝、いきなり枕元の電話が鳴った。「まったく~こんな朝早くに一体だれ~?」 と寝ボケながらもボヤキつつ受話器を取る。「はい、もしもし~、もしもし~」受話器の向こうで誰かが何かを言っている。「すみませ~ん、どちら様ですか~?」「え~と、だから誰ですか~?!」やや苛立ち気味の私に電話口の人が大笑いしている・・・そこでふと自分が寝ていた部屋を見渡した私、そして気付いた「あ~!ここイタリアだったのだ!」

【あの頃イタリアで その5 初登校での衝撃の出会い】

その日の早朝、いきなり枕元の電話が鳴った。「まったく~こんな朝早くに一体だれ~?」 と寝ボケながらもボヤキつつ受話器を取る。「はい、もしもし~、もしもし~」受話器の向こうで誰かが何かを言っている。「すみませ~ん、どちら様ですか~?」「え~と、だから誰ですか~?!」やや苛立ち気味の私に電話口の人が大笑いしている・・・そこでふと自分が寝ていた部屋を見渡した私、そして気付いた「あ~!ここイタリアだったのだ!」

イタリアのパニーニ

【あの頃イタリアで その4 まだ学校は始まらない】

さて、日本の桜もとうに見頃を終え、夏の香り漂う27年前の7月3日、私のイタリア生活がスタートしました。無事に日本から予約をしていたミラノ市内のホテルに到着した私はさぞかし観光を楽しんでいると思いきや・・またしても喉の渇きに苦しんでおりました。

【あの頃イタリアで その4 まだ学校は始まらない】

さて、日本の桜もとうに見頃を終え、夏の香り漂う27年前の7月3日、私のイタリア生活がスタートしました。無事に日本から予約をしていたミラノ市内のホテルに到着した私はさぞかし観光を楽しんでいると思いきや・・またしても喉の渇きに苦しんでおりました。

【あの頃イタリアで その3 記念すべきイタリア初上陸】

【あの頃イタリアで その3 記念すべきイタリア初上陸】

さて、早速ですが前回からのつづき・・ 飛行機の座席に落ち着き、シートベルトを締めてからの記憶は乗換地の香港に到着するまでありません・・。座ったとたん爆睡していたようです。飛行機代を極力抑えるため、キャセイパシフィック航空の香港乗継ローマ着でまたまた乗り継いでミラノ入りというルートを選択したのは良いのですが、一人で海外便を乗り継いだことが無い私は全く勝手が分かりせん。

【あの頃イタリアで その3 記念すべきイタリア初上陸】

さて、早速ですが前回からのつづき・・ 飛行機の座席に落ち着き、シートベルトを締めてからの記憶は乗換地の香港に到着するまでありません・・。座ったとたん爆睡していたようです。飛行機代を極力抑えるため、キャセイパシフィック航空の香港乗継ローマ着でまたまた乗り継いでミラノ入りというルートを選択したのは良いのですが、一人で海外便を乗り継いだことが無い私は全く勝手が分かりせん。

【あの頃イタリアで その2 何はともあれ旅立つ】

【あの頃イタリアで その2 何はともあれ旅立つ】

さて前回の続き・・27年前の私は一体何をしていたかといいますと・・まだまだ夢見る20代でありまして、インテリアデザイナーを目指して内装設計施工会社に勤務をしておりました。希望に燃えて入社したものの、若い頃って飽きっぽいですよね。入社3年後、マンネリ化した日々の中で思いついたのが「そうだ、京都へ行こう」ならぬ、「そうだ、海外へ留学しよう」だったのです。

【あの頃イタリアで その2 何はともあれ旅立つ】

さて前回の続き・・27年前の私は一体何をしていたかといいますと・・まだまだ夢見る20代でありまして、インテリアデザイナーを目指して内装設計施工会社に勤務をしておりました。希望に燃えて入社したものの、若い頃って飽きっぽいですよね。入社3年後、マンネリ化した日々の中で思いついたのが「そうだ、京都へ行こう」ならぬ、「そうだ、海外へ留学しよう」だったのです。