イタリア留学思い出ブログ【あの頃イタリアで】
【あの頃イタリアで その4 まだ学校は始まらない】
さて、日本の桜もとうに見頃を終え、夏の香り漂う27年前の7月3日、私のイタリア生活がスタートしました。無事に日本から予約をしていたミラノ市内のホテルに到着した私はさぞかし観光を楽しんでいると思いきや・・またしても喉の渇きに苦しんでおりました。
【あの頃イタリアで その4 まだ学校は始まらない】
さて、日本の桜もとうに見頃を終え、夏の香り漂う27年前の7月3日、私のイタリア生活がスタートしました。無事に日本から予約をしていたミラノ市内のホテルに到着した私はさぞかし観光を楽しんでいると思いきや・・またしても喉の渇きに苦しんでおりました。
【あの頃イタリアで その3 記念すべきイタリア初上陸】
さて、早速ですが前回からのつづき・・ 飛行機の座席に落ち着き、シートベルトを締めてからの記憶は乗換地の香港に到着するまでありません・・。座ったとたん爆睡していたようです。飛行機代を極力抑えるため、キャセイパシフィック航空の香港乗継ローマ着でまたまた乗り継いでミラノ入りというルートを選択したのは良いのですが、一人で海外便を乗り継いだことが無い私は全く勝手が分かりせん。
【あの頃イタリアで その3 記念すべきイタリア初上陸】
さて、早速ですが前回からのつづき・・ 飛行機の座席に落ち着き、シートベルトを締めてからの記憶は乗換地の香港に到着するまでありません・・。座ったとたん爆睡していたようです。飛行機代を極力抑えるため、キャセイパシフィック航空の香港乗継ローマ着でまたまた乗り継いでミラノ入りというルートを選択したのは良いのですが、一人で海外便を乗り継いだことが無い私は全く勝手が分かりせん。
【あの頃イタリアで その2 何はともあれ旅立つ】
さて前回の続き・・27年前の私は一体何をしていたかといいますと・・まだまだ夢見る20代でありまして、インテリアデザイナーを目指して内装設計施工会社に勤務をしておりました。希望に燃えて入社したものの、若い頃って飽きっぽいですよね。入社3年後、マンネリ化した日々の中で思いついたのが「そうだ、京都へ行こう」ならぬ、「そうだ、海外へ留学しよう」だったのです。
【あの頃イタリアで その2 何はともあれ旅立つ】
さて前回の続き・・27年前の私は一体何をしていたかといいますと・・まだまだ夢見る20代でありまして、インテリアデザイナーを目指して内装設計施工会社に勤務をしておりました。希望に燃えて入社したものの、若い頃って飽きっぽいですよね。入社3年後、マンネリ化した日々の中で思いついたのが「そうだ、京都へ行こう」ならぬ、「そうだ、海外へ留学しよう」だったのです。
【あの頃イタリアで その1 m.m.Luccaの始まりの始まり】
先ほどから、書類の山のその先にある雨空に目をやりながら、「私はなぜヨーロッパからモノを輸入することを生業としたのか・・きっかけは何だったのか」とぼんやり考えておりました。10代の頃から小物が大好きで、インテリコーディネーターの仕事に就いてからも壁紙やカーテンよりもディスプレイ用の小物に興味があったので、無類の小物好きであることは間違いありません。しかし、それがなぜヨーロッパのモノに繋がって行ったのか・・・
【あの頃イタリアで その1 m.m.Luccaの始まりの始まり】
先ほどから、書類の山のその先にある雨空に目をやりながら、「私はなぜヨーロッパからモノを輸入することを生業としたのか・・きっかけは何だったのか」とぼんやり考えておりました。10代の頃から小物が大好きで、インテリコーディネーターの仕事に就いてからも壁紙やカーテンよりもディスプレイ用の小物に興味があったので、無類の小物好きであることは間違いありません。しかし、それがなぜヨーロッパのモノに繋がって行ったのか・・・