イタリア留学思い出ブログ【あの頃イタリアで】
【あの頃イタリアで その72 イタリアで太ったのには訳がある〜リグーリアの旅②】
投稿者 :佐々木英理子 on

サンタマルゲリータに到着したその夜はマンションの近くで見つけたアットホームなトラットリア(イタリアの食堂)でパスタやらなにやらをお腹いっぱい食べた。残念ながら、メニューは忘れてしまったが、とにかく4人とも無口になってしまうほど満腹になった。
「さ~て、じゃあ帰ってシャワーして寝るか!」マルコはウェイターにお会計を告げ、カバンから例の共有財布を取り出して支払いをしている。・・・そのときである。その様子をジッと見ていた私は、ふと思ってしまった。“え?これって不公平じゃない?”
【あの頃イタリアで その71 卒業設計からの逃避行〜リグーリアの旅①】
投稿者 :佐々木英理子 on

「これで運転してるのがマルコじゃなかったら最高なんだけどな~!」信号待ちの合間に憎まれ口を叩くも、今日のマルコはベスパのバックミラー越しに寛大に笑っている。
ここで余談ですが・・
ここまで書くと読者の中には「とかなんとか言って実はマルコと付き合ってるんじゃないの~?」と思う方もいらっしゃるかと思うので、念のため解説します。
マルコにはエマというとても可愛い彼女いるのです。
【あの頃イタリアで その70 ベスパは友情の架け橋か?】
投稿者 :佐々木英理子 on

マルコと子供のようなケンカ別れをしてから数日後、何度目かのチームミーティングの朝が来た。今度こそ絶対文句は言わせまいと、昨夜は遅くまで根を詰めて作業をしていたせいか、今朝は格別に眠い。
思い身体を引きずりながら身支度をしていると、キッチンにあるFAX機能付きの電話が鳴った。数秒後、キッチンにいた良美さんが私を呼ぶ。
「お~い!マルコから電話だよ~!」
【あの頃イタリアで その69 大人顔の子供たちはたまにケンカするのである】
投稿者 :佐々木英理子 on

ミラノ市内の病院に行った日から寝込むこと3日間。そして4日目の朝が明けた・・・。「完全復活!」と言いたいところだが、今回の風邪はそう甘くはないようで、咳と喉の痛みがしぶとく残っている。しかし今日は何としてでも卒業設計に取り掛からねば、次のミーティングに間に合わない。
喉を除けば体調はだいぶ良くなった気がするので、取りあえず起き上がってブランデー無しのホットミルクにたっぷりのお砂糖を入れて飲んでみた。荒れた喉の粘膜に痛いほど染み渡る。アルバイト先である設計事務所には良美さんが保護者の如く「しばらく欠勤」の連絡をしてくれていたので、なんとか集中して卒業設計のプラン作りに集中することができた。
【あの頃イタリアで その68 鬼のかく乱的2度目の病院 】
投稿者 :佐々木英理子 on

1996年2月、とある昼下がりの教室。この日も卒業設計チームの4人は腕組みをして図面とにらめっこをしていた。
課題として与えられたその建物は5階建。まずは大まかなデザインコンセプトを決めて、各フロアの用途を決める必要があるのだが、これがなかなか決まらない。どうやら今日もこのまま日が暮れてしまいそうである。そして夕方、案の定その日も何も決まらず、結局それぞれで考えて1週間後にプランを持ち寄ることになった。