イタリア留学思い出ブログ【あの頃イタリアで】

【あの頃イタリアで その52 シチリア海底にキツネ目の女現る その2】

【あの頃イタリアで その52 シチリア海底にキツネ目の女現る その2】

シチリアの海底で、突如マスクが吸盤のように顔に貼り付いてしまった私はパニック寸前!何とか冷静になろうと、ギリギリのところであがいていた。スキューバダイビング経験がある方は既にお分かりかと思うが、ダイビング経験が浅い上に一年振りに海に潜ることになった私は、耳抜き(鼓膜の内側と外側の圧力を調整するため、鼻を摘み、口を閉じた状態で、鼻から空気をはき出すようにして耳へ空気を送る方法)ばかり気に掛けてマスクの上から鼻を摘まみっぱなしで潜行してしまったためマスク内の気圧の調整ができず、その結果、マスク内の気圧が下がり、大きな吸盤のように顔に貼り付いてしまったのである。

【あの頃イタリアで その52 シチリア海底にキツネ目の女現る その2】

シチリアの海底で、突如マスクが吸盤のように顔に貼り付いてしまった私はパニック寸前!何とか冷静になろうと、ギリギリのところであがいていた。スキューバダイビング経験がある方は既にお分かりかと思うが、ダイビング経験が浅い上に一年振りに海に潜ることになった私は、耳抜き(鼓膜の内側と外側の圧力を調整するため、鼻を摘み、口を閉じた状態で、鼻から空気をはき出すようにして耳へ空気を送る方法)ばかり気に掛けてマスクの上から鼻を摘まみっぱなしで潜行してしまったためマスク内の気圧の調整ができず、その結果、マスク内の気圧が下がり、大きな吸盤のように顔に貼り付いてしまったのである。

【あの頃イタリアで その51 シチリア海底にキツネ目の女現る】

【あの頃イタリアで その51 シチリア海底にキツネ目の女現る】

9月初旬のウスティカ島はその日も朝から快晴。絶好のスキューバダイビング日和であった。 島の高台にある宿で軽い昼食を済ませ、私は妹と弟と別れた。今日の午後はフリータイムである。妹弟は海水浴へ、私はスキューバダイビングをするべく迎えに来てくれたヌッチョと島で知り合ったドイツ人夫婦と共に、エンツォ(その28参照)の船が停泊している港に向かった。一年前と変わらず、自家製エスプレッソ入の水筒をぶら下げてズンズン先を行くヌッチョの後ろ姿が微笑ましい。(その30参照)

【あの頃イタリアで その51 シチリア海底にキツネ目の女現る】

9月初旬のウスティカ島はその日も朝から快晴。絶好のスキューバダイビング日和であった。 島の高台にある宿で軽い昼食を済ませ、私は妹と弟と別れた。今日の午後はフリータイムである。妹弟は海水浴へ、私はスキューバダイビングをするべく迎えに来てくれたヌッチョと島で知り合ったドイツ人夫婦と共に、エンツォ(その28参照)の船が停泊している港に向かった。一年前と変わらず、自家製エスプレッソ入の水筒をぶら下げてズンズン先を行くヌッチョの後ろ姿が微笑ましい。(その30参照)

【あの頃イタリアで その50 姉妹弟3人イタリア珍道中】

【あの頃イタリアで その50 姉妹弟3人イタリア珍道中】

1995年の夏は、怪しアルバイトに励みつつも全力で遊んでいるうちにあっという間に過ぎてしまったと、前(その48参照)に書いた。クラスメートたちと遊びまわる以外にも、友人が日本から遊びに来たり、良美さんの友人が所有するコモ湖の別荘に連れて行ってもらったりと忙しかったが、何と言ってもその夏のトリを飾ったのは姉妹弟3人でのイタリアほぼほぼ一周旅行であった。

【あの頃イタリアで その50 姉妹弟3人イタリア珍道中】

1995年の夏は、怪しアルバイトに励みつつも全力で遊んでいるうちにあっという間に過ぎてしまったと、前(その48参照)に書いた。クラスメートたちと遊びまわる以外にも、友人が日本から遊びに来たり、良美さんの友人が所有するコモ湖の別荘に連れて行ってもらったりと忙しかったが、何と言ってもその夏のトリを飾ったのは姉妹弟3人でのイタリアほぼほぼ一周旅行であった。

【あの頃イタリアで その49 オペラ座のマエストロも男ですから】

【あの頃イタリアで その49 オペラ座のマエストロも男ですから】

1995年7月のとある月曜日、私はミラノの移民局(クエストゥーラ)の待合室にいた。 外国人が3ヵ月以上イタリアに滞在するために必要な滞在許可証は1年ごとに更新手続きが必要であるため、イタリアに来てからほぼ1年目のこの日、私は窓口の側のベンチで日本から持ってきた文庫本を読みながら、手続きの順番を待っていたのである。

【あの頃イタリアで その49 オペラ座のマエストロも男ですから】

1995年7月のとある月曜日、私はミラノの移民局(クエストゥーラ)の待合室にいた。 外国人が3ヵ月以上イタリアに滞在するために必要な滞在許可証は1年ごとに更新手続きが必要であるため、イタリアに来てからほぼ1年目のこの日、私は窓口の側のベンチで日本から持ってきた文庫本を読みながら、手続きの順番を待っていたのである。

【あの頃イタリアで その48 遊びだって全力なのだ!】

【あの頃イタリアで その48 遊びだって全力なのだ!】

1995年の夏は、謎のアルバイトで始まってアルバイトで終わったが、そんな日々の中にも休日はある。平日は授業とアルバイト漬けだったので、休日になるとその分を挽回するべくとにかく全力で遊んだ。 あの頃の手帳を見ると、クラスメート4、5人でミラノの西側、ベローナの近くにある遊園地“Gardaland(ガルダランド)”へ遊びに行ったとか、カヌーで激流下りをしたとか、クラスメートのミレーナとマルコと三人でベネツィア観光へ行ったなどと書いてある。

【あの頃イタリアで その48 遊びだって全力なのだ!】

1995年の夏は、謎のアルバイトで始まってアルバイトで終わったが、そんな日々の中にも休日はある。平日は授業とアルバイト漬けだったので、休日になるとその分を挽回するべくとにかく全力で遊んだ。 あの頃の手帳を見ると、クラスメート4、5人でミラノの西側、ベローナの近くにある遊園地“Gardaland(ガルダランド)”へ遊びに行ったとか、カヌーで激流下りをしたとか、クラスメートのミレーナとマルコと三人でベネツィア観光へ行ったなどと書いてある。

【あの頃イタリアで その47 マジックミラーの裏で蠢く怪しい面々③】

【あの頃イタリアで その47 マジックミラーの裏で蠢く怪しい面々③】

ミラノの片隅にある日本人観光客向けの謎のお土産物屋”マドラ”。マフィアが経営しているという噂は由美子さんのみならず他の従業員たちからも聞いた。これはもう、限りなく事実に近い噂なのか?しかし、みんな口を揃えてこう言う。 「だけどね~従業員には優しいし、働いた分のお金はきちんと払ってくれるから大丈夫よ!」

【あの頃イタリアで その47 マジックミラーの裏で蠢く怪しい面々③】

ミラノの片隅にある日本人観光客向けの謎のお土産物屋”マドラ”。マフィアが経営しているという噂は由美子さんのみならず他の従業員たちからも聞いた。これはもう、限りなく事実に近い噂なのか?しかし、みんな口を揃えてこう言う。 「だけどね~従業員には優しいし、働いた分のお金はきちんと払ってくれるから大丈夫よ!」