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イタリア留学思い出ブログ【あの頃イタリアで】

【あの頃イタリアで その59 猫と分かりあうまでの1週間①】

投稿者 :佐々木英理子 on

【あの頃イタリアで その59 猫と分かりあうまでの1週間①】

私と良美さんが暮らすミラノのナビリオ地区にあるアパートメントには2匹の猫がいた。というよりも、私が良美さんのところに転がり込むずっと前から、良美さんは猫を飼っていたのである。

小柄なグレーのトラ柄猫「マル 」(推定5歳のメス猫)といかつい黒猫の「サンボ 」(推定4歳のオス猫)。私の薄い記憶によると友人が保護した捨て猫を止む無く引き取ったとのことだったが、良美さんはこの2匹の猫たちを我が子のように可愛がっていた。

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【あの頃イタリアで その58 病的睡魔の挙句の連帯責任】

投稿者 :佐々木英理子 on

【あの頃イタリアで その58 病的睡魔の挙句の連帯責任】

私はその授業が嫌いであった。別にパソコンが嫌いだったわけではないが、その授業を担当していた教師がとにかく嫌なやつだったのである。年の頃40代前半くらいのイタリア人、パソコンよりも格闘技が似合いそうな無骨な感じの男性。その髭面の教師の本名はあの当時も今も不明であるが、なぜかみんなにピッツィと呼ばれていた。

この教師、人種差別的思考があるのかどうか、イタリア人には優しいのだがなぜか他国からやって来た学生には辛く当たるのである。私もよくそのイライラの標的にされ、授業中に理不尽なことで怒鳴られたものだ。

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【あの頃イタリアで その57 だからストーリーなんて覚えていない】

投稿者 :佐々木英理子 on

【あの頃イタリアで その57 だからストーリーなんて覚えていない】

私がミラノで暮らした1994年から1996年の約3年間で、映画を観に行ったのはたったの3回。別に映画に興味が無いわけではなくむしろ好きなのだが、どうしても言葉の壁が私を映画館から遠ざけてしまっていた。

その当時、イタリアで上映されていた映画は潔いほど字幕無しのイタリア語吹替え版のみであった。トム・クルーズだってハリソン・フォードだって、ペラペラのイタリア語なのである。俳優の地声を聞くことができないのはかなり残念であるが、英語もイタリア語も分からない私にとって、言ってることが理解できないという状況に変わりはない。

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【あの頃イタリアで その56 バースデーPARTYで地蔵と化す】

投稿者 :佐々木英理子 on

【あの頃イタリアで その56 バースデーPARTYで地蔵と化す】

れは1995年のちょうど今頃、その日の授業が終わり、さて帰ろうかなと思っていた私のもとに当時仲良くしていたアンニュイなミラネーゼ、クラスメートのミレーナがやって来た。ブロンズ色のロングヘアに愛嬌のある小顔が相変わらず可愛い。

「ねえねえ、エリコの誕生日って6月だよね?」

「うん、そうだけど。」どこで仕入れたのか私の誕生日を知っているようである。

「実はね、私も6月生まれなの!」

「へ~、そうなんだ~」と言いつつ、そっかじゃあミレーナと私はきっかり7歳違うんだなと思う。

「それでね!一緒にバースデーパーティーしない?!」

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【あの頃イタリアで その55 イタリア版・番町皿屋敷の恐怖 -その2-】

投稿者 :佐々木英理子 on

【あの頃イタリアで その55 イタリア版・番町皿屋敷の恐怖 -その2-】

2軒お隣に住むおばあちゃんから晩ご飯のご招待を受けた私は、手土産用のワインを冷やして準備万端、どんな美味しいイタリア料理にあり付けるのかとワクワクが止まらない。そのとき、玄関のインターホンが鳴った。

「は~い!」ドアを開けるとおばあちゃんが優しそうな笑顔で立っている。あれ?わざわざ私を迎えに来てくれたのかな?・・ハテナ顔で突っ立っている私におばあちゃんは言う。

「では早速 お皿"を持って来てもいいかい?」

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