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イタリア留学思い出ブログ【あの頃イタリアで】

【あの頃イタリアで その54 イタリア版・番町皿屋敷の恐怖 -その1-】

投稿者 :佐々木英理子 on

【あの頃イタリアで その54 イタリア版・番町皿屋敷の恐怖 -その1-】

私がミラノに戻ったのは11月の初めのこと。9月中旬にミラノを発ってから、実に1カ月半もの間日本でのんびりしてしまった。

イタリアを初めヨーロッパではほとんどの学校が10月に新学期を迎えるが、私が通うデザインスクールが始まったのは118日。私立とはいえかなりのんびりしたスタートである。そのくせ12月になると鬼のように授業を詰め込むのだから生徒はたまったものじゃない。きっとまた課題に追われて寝不足の毎日がやって来るに違いないのだ。

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【あの頃イタリアで その53 キツネ目女から赤目女への変貌】

投稿者 :佐々木英理子 on

【あの頃イタリアで その53 キツネ目女から赤目女への変貌】

ウスティカの太陽がジリジリと肌を焼いていることすら気に留める余裕も無く、私はしばらく無言のまま甲板に寝転がっていた。海底でパニックになり、体力を消耗してしまったため船に上がるのに手こずり、しばらく海面に浮いていたので波酔いをしてしまったのだ。

遠足気分で浮かれ過ぎ、空気が読めないヌッチョは相変わらず大はしゃぎで、目を閉じたまま横になっている私にちょっかいを出しては笑っている。怒る気力もなく放っておいたのだが、それを見かねたドイツ人夫婦の妻がヌッチョを叱ってくれた。

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【あの頃イタリアで その52 シチリア海底にキツネ目の女現る その2】

投稿者 :佐々木英理子 on

【あの頃イタリアで その52 シチリア海底にキツネ目の女現る その2】

シチリアの海底で、突如マスクが吸盤のように顔に貼り付いてしまった私はパニック寸前!何とか冷静になろうと、ギリギリのところであがいていた。スキューバダイビング経験がある方は既にお分かりかと思うが、ダイビング経験が浅い上に一年振りに海に潜ることになった私は、耳抜き(鼓膜の内側と外側の圧力を調整するため、鼻を摘み、口を閉じた状態で、鼻から空気をはき出すようにして耳へ空気を送る方法)ばかり気に掛けてマスクの上から鼻を摘まみっぱなしで潜行してしまったためマスク内の気圧の調整ができず、その結果、マスク内の気圧が下がり、大きな吸盤のように顔に貼り付いてしまったのである。

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【あの頃イタリアで その51 シチリア海底にキツネ目の女現る】

投稿者 :佐々木英理子 on

【あの頃イタリアで その51 シチリア海底にキツネ目の女現る】

9月初旬のウスティカ島はその日も朝から快晴。絶好のスキューバダイビング日和であった。

島の高台にある宿で軽い昼食を済ませ、私は妹と弟と別れた。今日の午後はフリータイムである。妹弟は海水浴へ、私はスキューバダイビングをするべく迎えに来てくれたヌッチョと島で知り合ったドイツ人夫婦と共に、エンツォ(その28参照)の船が停泊している港に向かった。一年前と変わらず、自家製エスプレッソ入の水筒をぶら下げてズンズン先を行くヌッチョの後ろ姿が微笑ましい。(その30参照)

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【あの頃イタリアで その50 姉妹弟3人イタリア珍道中】

投稿者 :佐々木英理子 on

【あの頃イタリアで その50 姉妹弟3人イタリア珍道中】
1995年の夏は、怪しアルバイトに励みつつも全力で遊んでいるうちにあっという間に過ぎてしまったと、前(その48参照)に書いた。クラスメートたちと遊びまわる以外にも、友人が日本から遊びに来たり、良美さんの友人が所有するコモ湖の別荘に連れて行ってもらったりと忙しかったが、何と言ってもその夏のトリを飾ったのは姉妹弟3人でのイタリアほぼほぼ一周旅行であった。

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