イタリア留学思い出ブログ【あの頃イタリアで】

【あの頃イタリアで その40 校内デザインコンペの奇跡】

【あの頃イタリアで その40 校内デザインコンペの奇跡】

995年の年明けから、課外授業で取り組んでいた校内ベッドデザインコンペ。2月に入りその作品提出期限が近づいていたにも関わらず、私は学校の試験や提出物にも追い込まれ四面楚歌になりながら、なすすべもなく四角形の中心でクルクルと回っていた。相変わらず模型の屑にまみれたままだ。

【あの頃イタリアで その40 校内デザインコンペの奇跡】

995年の年明けから、課外授業で取り組んでいた校内ベッドデザインコンペ。2月に入りその作品提出期限が近づいていたにも関わらず、私は学校の試験や提出物にも追い込まれ四面楚歌になりながら、なすすべもなく四角形の中心でクルクルと回っていた。相変わらず模型の屑にまみれたままだ。

【あの頃イタリアで その39 ローストチキンの儀】

【あの頃イタリアで その39 ローストチキンの儀】

私が良美さんと暮らす新居の近所には“SMA”というスーパーマーケットがあった。良くあるチェーン店で、日本で言う“サミット”や“ピーコック”的な存在であったと思う。 貧困留学生活のため外食なんてめったにできなかったので、もっぱら自炊(・・と呼ぶほどの大したものは作れない)のために普段はスーパーで買い物をしていたのだが、売場に並ぶ鶏肉の値段の高さに衝撃を受けていた。

【あの頃イタリアで その39 ローストチキンの儀】

私が良美さんと暮らす新居の近所には“SMA”というスーパーマーケットがあった。良くあるチェーン店で、日本で言う“サミット”や“ピーコック”的な存在であったと思う。 貧困留学生活のため外食なんてめったにできなかったので、もっぱら自炊(・・と呼ぶほどの大したものは作れない)のために普段はスーパーで買い物をしていたのだが、売場に並ぶ鶏肉の値段の高さに衝撃を受けていた。

【あの頃イタリアで その38 あの素晴らしい日々をもう一度】

【あの頃イタリアで その38 あの素晴らしい日々をもう一度】

そんな私たちの最大の共通点はワインが(=お酒を飲むのが)大好きなことであった。二人でダイニングテーブルに付いているときは必ずワイングラスを握っていたと言っても過言ではない。約二年間の同居生活で飲んだワインの量は果たしてどれくらいになるのだろうか。考えただけで恐ろしい。(注:アル中ではありません) とある週一回の空き瓶回収の日、二人でせっせとワインの空き瓶を運んでいると、隣に住む世話好きパッラディーニおばさん”が近寄って来てこう言った。

【あの頃イタリアで その38 あの素晴らしい日々をもう一度】

そんな私たちの最大の共通点はワインが(=お酒を飲むのが)大好きなことであった。二人でダイニングテーブルに付いているときは必ずワイングラスを握っていたと言っても過言ではない。約二年間の同居生活で飲んだワインの量は果たしてどれくらいになるのだろうか。考えただけで恐ろしい。(注:アル中ではありません) とある週一回の空き瓶回収の日、二人でせっせとワインの空き瓶を運んでいると、隣に住む世話好きパッラディーニおばさん”が近寄って来てこう言った。

【あの頃イタリアで その37 それとも日本食の食べ過ぎが原因か?】

【あの頃イタリアで その37 それとも日本食の食べ過ぎが原因か?】

初めて迎えるイタリア、ミラノでのクリスマス・・・のはずが、日本食の誘惑に負けた私は“学校の課題の資料集めをしなければいけないのだ!”とかなんとか理由を付け、親からお金を借りて日本へ帰った。なんて意思が弱いのか・・・。留学中にたった二回しか迎えることのできないミラノでの貴重なクリスマス体験、その一回を棒に振ってしまったのだ。今でも悔やまれて仕方がない。

【あの頃イタリアで その37 それとも日本食の食べ過ぎが原因か?】

初めて迎えるイタリア、ミラノでのクリスマス・・・のはずが、日本食の誘惑に負けた私は“学校の課題の資料集めをしなければいけないのだ!”とかなんとか理由を付け、親からお金を借りて日本へ帰った。なんて意思が弱いのか・・・。留学中にたった二回しか迎えることのできないミラノでの貴重なクリスマス体験、その一回を棒に振ってしまったのだ。今でも悔やまれて仕方がない。

【あの頃イタリアで その36 突如目覚めた謎の特殊能力】

【あの頃イタリアで その36 突如目覚めた謎の特殊能力】

ひと月前に始まったばかりのデザインスクールであるが、この頃になるとクラスのみんなが互いに打ち解け、かつての語学講座でそうだったように(その17 参照)、フェスタ(ホームパーティー)熱が再燃し始めた。 この時代の流行りなのか、はたまたこちら方面の方々の習慣なのかは定かではないが、仲良くなるととにかくみんな自分の家に呼びたがる。そして自国の手料理を振舞うのがご挨拶となっているようだ。

【あの頃イタリアで その36 突如目覚めた謎の特殊能力】

ひと月前に始まったばかりのデザインスクールであるが、この頃になるとクラスのみんなが互いに打ち解け、かつての語学講座でそうだったように(その17 参照)、フェスタ(ホームパーティー)熱が再燃し始めた。 この時代の流行りなのか、はたまたこちら方面の方々の習慣なのかは定かではないが、仲良くなるととにかくみんな自分の家に呼びたがる。そして自国の手料理を振舞うのがご挨拶となっているようだ。

【あの頃イタリアで その35 過去を塗り潰して前進あるのみ?】

【あの頃イタリアで その35 過去を塗り潰して前進あるのみ?】

新居が決まってから引っ越しをするまでの2週間はとにかく忙しなかった。私と良美さんは空いている時間を見つけては、とにかくペンキを塗りまくった。 現在住んでいるアパートの大家さんと交渉し、何とか退去日を一週間延ばしてもらった私たちであったが、それでも準備時間が少ない。

【あの頃イタリアで その35 過去を塗り潰して前進あるのみ?】

新居が決まってから引っ越しをするまでの2週間はとにかく忙しなかった。私と良美さんは空いている時間を見つけては、とにかくペンキを塗りまくった。 現在住んでいるアパートの大家さんと交渉し、何とか退去日を一週間延ばしてもらった私たちであったが、それでも準備時間が少ない。