イタリア留学思い出ブログ【あの頃イタリアで】
【あの頃イタリアで その44 働かなければ即刻帰国!】
投稿者 :佐々木英理子 on
ミラノの一大行事の一つであるミラノサローネが終わり、外国人で賑やかだった町が落ち着きを取り戻した頃、それを待っていたかのように学校の授業が忙しくなって来た。
日本と違ってイタリアの学校の年度末は6月なので、5月に入ると、いつも遊び回っているクラスのみんな(私を含む)も、6月の期末テストや作品提出期限に向けて真面目に取り組みだした。課題を全てクリアしないと4年生に進学できないからだ。
【あの頃イタリアで その43 いきなりサッカーブーム・・しかもやる方】
投稿者 :佐々木英理子 on
ベッド完成から遡ること約2カ月。ベッドデザインコンペに優勝し、メーカーがせっせと私がデザインしたベッドを作り込んでいた頃(その40-42参照)、クラスの男子の中で草サッカー(?)が一時的に流行ったことがある。言い出しっぺはいつもの箱入りマルコだ。「なあなあ!今度の週末みんなでサッカーやろうぜ!俺の友達も連れて来るからチーム作って試合しようよ!」ある日の放課後、彼は唐突にこう切り出した。・・・気のせいか私に向かって言っている。そのまま気付かないふりをしていたら、案の定しっかりメンバーに入れられていた。
【あの頃イタリアで その42 校内デザインコンペの奇跡3】
投稿者 :佐々木英理子 on
思えば、メールでやり取りができなかったあの時代はかなり不便だったなーと思う。今だったらスマホで撮影してメールで画像を送れば一目で確認ができることであっても、あの頃はそうはいかない。
電話で“あーしたい、こーしたい”と説明しても上手く相手に伝わらず、スケッチを書いてFAXを送る。それでも伝えられないとなると、実物を前に話をするべく現地に赴くしかない。そして結局、ベッドが完成するまで3回ほど、マルコの車で工場へ通うことになった。
【あの頃イタリアで その41 校内デザインコンペの奇跡2】
投稿者 :佐々木英理子 on
【あの頃イタリアで その40 校内デザインコンペの奇跡】
投稿者 :佐々木英理子 on