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イタリア留学思い出ブログ【あの頃イタリアで】

【あの頃イタリアで その80 卒業設計は静かに幕を下ろすのだ】

投稿者 :佐々木英理子 on

【あの頃イタリアで その80 卒業設計は静かに幕を下ろすのだ】
卒業設計が大詰めを迎えていた1996年6月の始め、私は半年間お世話になった設計事務所でのアルバイトを辞めた。ここで働かせてもらったお陰で生活が安定し、何とか無事に卒業できそうである。どこの馬の骨とも分からない私を迎え入れてくれたピエラとダッグには感謝しかない。

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【あの頃イタリアで その79 友情の片思いってあるんだな】

投稿者 :佐々木英理子 on

【あの頃イタリアで その79 友情の片思いってあるんだな】
“訳”あって、(前回参照) 卒業旅行の日程をズラしてもらってから一週間後のことである。 卒業設計のグループ作業をしている教室に、マルコが珍しく遅れて入って来た。いつも穏やかな丸い目が心なしか横に潰れた楕円形に見える。 明らかにいつもと比べて口数が少ないマルコ。しかしそのことには触れないまま黙々と作業をすること数時間。

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【あの頃イタリアで その78 女であるが故、悩むのである】

投稿者 :佐々木英理子 on

【あの頃イタリアで その78 女であるが故、悩むのである】
卒業旅行計画が発表された翌日の土曜。私たち4人は早速マルコの車で郊外の大型ホームセンターへテントと寝袋を物色しに出掛けた。まだ2カ月以上先のことではあるが、私たちの意識は既に卒論を軽く飛び越え、新緑きらめくトスカーナの地にあった。 しかしそんな中、私は一人、ある問題を抱えて悶々と悩んでいたのである。

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【あの頃イタリアで その77 スタンドバイミー的卒業旅行の全貌】

投稿者 :佐々木英理子 on

【あの頃イタリアで その77 スタンドバイミー的卒業旅行の全貌】

ミラノに来て2度目のミラノサローネが終わり、世界中のビジネスマン&ウーマンが帰国すると街は何事もなかったかのように日常を取り戻した。

前回、“1996年の4月はとにかく忙しかった”と書いた。されどここはイタリア。どんなに忙しくても週末にはきっちりしっかり遊んでいたのである。

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【あの頃イタリアで その76 おいしいアルバイトのその先は】

投稿者 :佐々木英理子 on

【あの頃イタリアで その76 おいしいアルバイトのその先は】

1996年の4月は、とにかく忙しかった。卒業設計に追われながらも、相変わらず貧困状態にあったので設計事務所でのアルバイトを辞めるわけにはいかず、この頃は若さに任せてよく徹夜をしていた。(今は徹夜どころか、11時前に寝てしまうけど。笑)

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