イタリア留学思い出ブログ【あの頃イタリアで】

【あの頃イタリアで その57 だからストーリーなんて覚えていない】

投稿者 :佐々木英理子 on

【あの頃イタリアで その57 だからストーリーなんて覚えていない】

私がミラノで暮らした1994年から1996年の約3年間で、映画を観に行ったのはたったの3回。別に映画に興味が無いわけではなくむしろ好きなのだが、どうしても言葉の壁が私を映画館から遠ざけてしまっていた。

その当時、イタリアで上映されていた映画は潔いほど字幕無しのイタリア語吹替え版のみであった。トム・クルーズだってハリソン・フォードだって、ペラペラのイタリア語なのである。俳優の地声を聞くことができないのはかなり残念であるが、英語もイタリア語も分からない私にとって、言ってることが理解できないという状況に変わりはない。

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【あの頃イタリアで その56 バースデーPARTYで地蔵と化す】

投稿者 :佐々木英理子 on

【あの頃イタリアで その56 バースデーPARTYで地蔵と化す】

れは1995年のちょうど今頃、その日の授業が終わり、さて帰ろうかなと思っていた私のもとに当時仲良くしていたアンニュイなミラネーゼ、クラスメートのミレーナがやって来た。ブロンズ色のロングヘアに愛嬌のある小顔が相変わらず可愛い。

「ねえねえ、エリコの誕生日って6月だよね?」

「うん、そうだけど。」どこで仕入れたのか私の誕生日を知っているようである。

「実はね、私も6月生まれなの!」

「へ~、そうなんだ~」と言いつつ、そっかじゃあミレーナと私はきっかり7歳違うんだなと思う。

「それでね!一緒にバースデーパーティーしない?!」

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【あの頃イタリアで その55 イタリア版・番町皿屋敷の恐怖 -その2-】

投稿者 :佐々木英理子 on

【あの頃イタリアで その55 イタリア版・番町皿屋敷の恐怖 -その2-】

2軒お隣に住むおばあちゃんから晩ご飯のご招待を受けた私は、手土産用のワインを冷やして準備万端、どんな美味しいイタリア料理にあり付けるのかとワクワクが止まらない。そのとき、玄関のインターホンが鳴った。

「は~い!」ドアを開けるとおばあちゃんが優しそうな笑顔で立っている。あれ?わざわざ私を迎えに来てくれたのかな?・・ハテナ顔で突っ立っている私におばあちゃんは言う。

「では早速 お皿"を持って来てもいいかい?」

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【あの頃イタリアで その54 イタリア版・番町皿屋敷の恐怖 -その1-】

投稿者 :佐々木英理子 on

【あの頃イタリアで その54 イタリア版・番町皿屋敷の恐怖 -その1-】

私がミラノに戻ったのは11月の初めのこと。9月中旬にミラノを発ってから、実に1カ月半もの間日本でのんびりしてしまった。

イタリアを初めヨーロッパではほとんどの学校が10月に新学期を迎えるが、私が通うデザインスクールが始まったのは118日。私立とはいえかなりのんびりしたスタートである。そのくせ12月になると鬼のように授業を詰め込むのだから生徒はたまったものじゃない。きっとまた課題に追われて寝不足の毎日がやって来るに違いないのだ。

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【あの頃イタリアで その53 キツネ目女から赤目女への変貌】

投稿者 :佐々木英理子 on

【あの頃イタリアで その53 キツネ目女から赤目女への変貌】

ウスティカの太陽がジリジリと肌を焼いていることすら気に留める余裕も無く、私はしばらく無言のまま甲板に寝転がっていた。海底でパニックになり、体力を消耗してしまったため船に上がるのに手こずり、しばらく海面に浮いていたので波酔いをしてしまったのだ。

遠足気分で浮かれ過ぎ、空気が読めないヌッチョは相変わらず大はしゃぎで、目を閉じたまま横になっている私にちょっかいを出しては笑っている。怒る気力もなく放っておいたのだが、それを見かねたドイツ人夫婦の妻がヌッチョを叱ってくれた。

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