イタリア留学思い出ブログ【あの頃イタリアで】
【あの頃イタリアで その70 ベスパは友情の架け橋か?】
マルコと子供のようなケンカ別れをしてから数日後、何度目かのチームミーティングの朝が来た。今度こそ絶対文句は言わせまいと、昨夜は遅くまで根を詰めて作業をしていたせいか、今朝は格別に眠い。 思い身体を引きずりながら身支度をしていると、キッチンにあるFAX機能付きの電話が鳴った。数秒後、キッチンにいた良美さんが私を呼ぶ。 「お~い!マルコから電話だよ~!」
【あの頃イタリアで その70 ベスパは友情の架け橋か?】
マルコと子供のようなケンカ別れをしてから数日後、何度目かのチームミーティングの朝が来た。今度こそ絶対文句は言わせまいと、昨夜は遅くまで根を詰めて作業をしていたせいか、今朝は格別に眠い。 思い身体を引きずりながら身支度をしていると、キッチンにあるFAX機能付きの電話が鳴った。数秒後、キッチンにいた良美さんが私を呼ぶ。 「お~い!マルコから電話だよ~!」
【あの頃イタリアで その69 大人顔の子供たちはたまにケンカするのである】
ミラノ市内の病院に行った日から寝込むこと3日間。そして4日目の朝が明けた・・・。「完全復活!」と言いたいところだが、今回の風邪はそう甘くはないようで、咳と喉の痛みがしぶとく残っている。しかし今日は何としてでも卒業設計に取り掛からねば、次のミーティングに間に合わない。 喉を除けば体調はだいぶ良くなった気がするので、取りあえず起き上がってブランデー無しのホットミルクにたっぷりのお砂糖を入れて飲んでみた。荒れた喉の粘膜に痛いほど染み渡る。アルバイト先である設計事務所には良美さんが保護者の如く「しばらく欠勤」の連絡をしてくれていたので、なんとか集中して卒業設計のプラン作りに集中することができた。
【あの頃イタリアで その69 大人顔の子供たちはたまにケンカするのである】
ミラノ市内の病院に行った日から寝込むこと3日間。そして4日目の朝が明けた・・・。「完全復活!」と言いたいところだが、今回の風邪はそう甘くはないようで、咳と喉の痛みがしぶとく残っている。しかし今日は何としてでも卒業設計に取り掛からねば、次のミーティングに間に合わない。 喉を除けば体調はだいぶ良くなった気がするので、取りあえず起き上がってブランデー無しのホットミルクにたっぷりのお砂糖を入れて飲んでみた。荒れた喉の粘膜に痛いほど染み渡る。アルバイト先である設計事務所には良美さんが保護者の如く「しばらく欠勤」の連絡をしてくれていたので、なんとか集中して卒業設計のプラン作りに集中することができた。
【あの頃イタリアで その68 鬼のかく乱的2度目の病院 】
1996年2月、とある昼下がりの教室。この日も卒業設計チームの4人は腕組みをして図面とにらめっこをしていた。 課題として与えられたその建物は5階建。まずは大まかなデザインコンセプトを決めて、各フロアの用途を決める必要があるのだが、これがなかなか決まらない。どうやら今日もこのまま日が暮れてしまいそうである。そして夕方、案の定その日も何も決まらず、結局それぞれで考えて1週間後にプランを持ち寄ることになった。
【あの頃イタリアで その68 鬼のかく乱的2度目の病院 】
1996年2月、とある昼下がりの教室。この日も卒業設計チームの4人は腕組みをして図面とにらめっこをしていた。 課題として与えられたその建物は5階建。まずは大まかなデザインコンセプトを決めて、各フロアの用途を決める必要があるのだが、これがなかなか決まらない。どうやら今日もこのまま日が暮れてしまいそうである。そして夕方、案の定その日も何も決まらず、結局それぞれで考えて1週間後にプランを持ち寄ることになった。
【あの頃イタリアで その67 卒業設計は嫌でも幕を開けるのだ】
生活費の足しにと、設計事務所でのアルバイトに精を出していた私だが、その間学校に通っていなかったわけではない。授業がある日以外は朝9時半から夕方4時までアルバイトをし、それから学校へ行って卒業設計の作業に取り掛かるという慌ただしい毎日を送っていた。 卒業設計は3、4人で1グループを作り、1つの課題に取り組むことになっていた。課題の選択肢は二つ。まず初めにインテリアデザインか建築デザインのどちらかを選ばねばならない。
【あの頃イタリアで その67 卒業設計は嫌でも幕を開けるのだ】
生活費の足しにと、設計事務所でのアルバイトに精を出していた私だが、その間学校に通っていなかったわけではない。授業がある日以外は朝9時半から夕方4時までアルバイトをし、それから学校へ行って卒業設計の作業に取り掛かるという慌ただしい毎日を送っていた。 卒業設計は3、4人で1グループを作り、1つの課題に取り組むことになっていた。課題の選択肢は二つ。まず初めにインテリアデザインか建築デザインのどちらかを選ばねばならない。
【あの頃イタリアで その66 日本人はできるんです!④】
二度目の電熱線切断という衝撃・・・。深く考えれば考えるほどダッグと向き合う勇気は消え失せて行くので、一度頭を空っぽにしてオフィスに向かう。そしてドアをノックする前に思い切って外から大声で叫んでみた。「ごめんないさい!また切れた!」無言でドアを開けたダッグが笑顔であるはずがない。「また?」それだけ言うとツカツカと作業室に向かい黙って電熱線を張り直す。
【あの頃イタリアで その66 日本人はできるんです!④】
二度目の電熱線切断という衝撃・・・。深く考えれば考えるほどダッグと向き合う勇気は消え失せて行くので、一度頭を空っぽにしてオフィスに向かう。そしてドアをノックする前に思い切って外から大声で叫んでみた。「ごめんないさい!また切れた!」無言でドアを開けたダッグが笑顔であるはずがない。「また?」それだけ言うとツカツカと作業室に向かい黙って電熱線を張り直す。
【あの頃イタリアで その65 日本人ならできるでしょ?③】
あっという間に就業時間の午後6時。 結局その日は図面に書かれている等高線を発泡スチロールに書き写す作業で終わってしまった。(もちろんこの時代に3Dレーザーカッターなるものは無い。) 「時間なのでそろそろ帰っていいですか?」廊下からそう呼びかけると、すぐにダッグがオフィスから顔を出した。 「で、どこまでできた?」眉間に皺を寄せてそう尋ねる彼に等高線を書き写した発泡スチロールを差し出す。
【あの頃イタリアで その65 日本人ならできるでしょ?③】
あっという間に就業時間の午後6時。 結局その日は図面に書かれている等高線を発泡スチロールに書き写す作業で終わってしまった。(もちろんこの時代に3Dレーザーカッターなるものは無い。) 「時間なのでそろそろ帰っていいですか?」廊下からそう呼びかけると、すぐにダッグがオフィスから顔を出した。 「で、どこまでできた?」眉間に皺を寄せてそう尋ねる彼に等高線を書き写した発泡スチロールを差し出す。